「シノペ進軍の道すがら」はミトリダテスが僻地を通ったとき、名のある占い師の家があるのを知って、将校をひとり占いにやらせた。「朕は今よりのちさらにいかほどの財を集めうるや、いかほどの権力を所有しうるや」。その答えをまちつつミトリダテスは進軍をつづける。そういうことが「文語」の文体で一、二連目に書かれる。そして三連目に占いの内容が語られるのだが、これは「口語」。
占い師は秘密の部屋にこもり、
半時間たって姿をあらわし、
当惑顔で将校に語る。
「はっきりとは結果がでなかった。
今日は日柄がよくなかった。
おぼろな影がいくつか。だがついにはっきりしなかった。
しかし、王は今をよしとされよと私は思う。
口語で、しかも内容が行ったり来たりする。逡巡がある。占い師が「よい未来」を語らないのは、もうすでに不吉な証拠だが、不吉もはっきりとは言わない。だが、口語はことばそのものよりも、口調によって「意味」を伝える。
「はっきりとは結果がでなかった。」「ついにはっきりしなかった。」と繰り返したあとで、文語をまじえながら「王は今をよしとされよ」と告げる。その「文語」を引き継いで、ことば(内容)が、また繰り返される。「じゃ」という口語の語尾をいったんはさんで、「文語」で緊迫感を伝える。
この上を望めば何にまれ危険じゃ。
将校殿。きっと王にいわれよ、
『神に誓って今をよしとされよ』とのわがことばを。
運命は急変が習い。
この対比がおもしろい。「運命」というとき、占い師が「未来」ではなく、過去を見ているのも、おもしろい。占い師のことばはつづくのだ。
ミトリダテス王にいわれよ。王の祖先の故事は希有ぞ。
かかる人に逢うをあてにめされるな。その友、かの気高い友が
槍で地面に字を書いて『逃げろ、ミトリダテス』とご先祖を救うたというが」
同じことは起きない。だれもミトリダテスを救わない。しかし、もう一方の、暗殺しようとする歴史は繰り返す。過去は繰り返す。ただし、だれも王にこっそり語るひとはいない。「過去」は繰り返すが、また「過去」は裏切るのだ。主観は複数あるのだ。
文語と口語のぶつかりあいが、過去と未来、複数の声の交錯のようにも見える。
![]() | リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」 |
ヤニス・リッツォス | |
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