池井昌樹『冠雪富士』(35) | 詩はどこにあるか

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池井昌樹『冠雪富士』(35)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「人類」は東日本大震災、福島第一原発の事故を踏まえて書かれている。

ゲンパツの跡地から
恐竜の骨が出土した

恐竜が絶滅したのは
おおよそ六千五百万年前

いわゆる白亜紀末のこと
ジンルイの影もなかった

いったい何があったのか
おおよそ六千五百万年

いわゆる西暦二千数十年
跡地は更地へあらたまり

やがて野花が咲きみだれ
人影はどこにもなかった

 「意味」が強い詩である。原発の跡地は更地になり、野の花は咲いているが人間はいない--それが福島第一原発の将来の姿である。六千五百万年前に恐竜が絶滅したように、人間もまた絶滅するかもしれない。それでも「野花」は咲き乱れる。それが池井の想像している世界である。
 おもしろくもおかくしもない詩である。原発事故に対して、おもしろ、おかしくは求めてはいけないことなのかもしれないが、なぜ池井がこの詩を書いたのか、私にはよくわからない。
 人間(ジンルイ)は信じられないが、野生の花の力は信じる、ということなのだろうか。

 池井は、この詩ではいったい誰と、あるいは何と「一体」になっているのだろうか。
 詩集には、こういう詩もある。
 この変な感じが「いま」を伝えている。

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