「異相の月」は「こんや異相のげん月のした。」という宮沢賢治「原体剣舞連」の一行を出典としている。池井の、宮沢賢治についての思い出である。その一行に、池井は深い郷愁を覚えている。「本家の長男であり、長兄でもあった賢治の幸福」を、池井は自分自身の長男であることに重ね合わせ、自分の幸福のように感じている。「皆で集まれば芸術談義に花を咲かせたという仲良し兄弟妹、」「宮沢家は芸術面に熱く濃い血の家柄だったようだ。」と書いたあと、池井は続けている。
私の家も、母の実家もそのような血の家柄だった。米穀
店でもあった母の実家には様々な能面狂言面が壁に掛けられ、独特
な匂いがあった。ゴーガンの複製画に衝撃を受けたのもその家だっ
た。祖母を囲んだ大勢の伯父伯母従兄弟従姉妹に挟まれている楽し
さを私は今も忘れない。
私がこの作品で書きたいことは、このあとの方に出てくるのだが、ここを引用したのは「独特の匂い」と、「匂い」ということばがあったらかである。池井の詩を最初に読んだのは「雨の日の畳」(だったかな?)という作品で、そこには「匂い」が書かれていた。私は肉体的にいうと粘膜系統が弱いので「匂い」はとても苦手である。いい匂いもあるだろうけれど、「匂い」は基本的に呼吸が苦しい。で、あ、こんなふうに「匂い」で世界をとらえる人間がいるのかと、匂いが気持ちがいいのか、かなり違和感を覚えた。匂いを嗅いでいる巨大な「肉体」が、ふっと見えたのである。それを思い出した。
ここに書かれている「独特の匂い」は「独特の雰囲気」というものだが、それを「雰囲気」といわずに「匂い」と書くのは、そこに「雰囲気(気分)」を超える具体的な「匂い」(肉体を刺戟するもの)があるからだと思う。「匂い」というものは、基本的に「肉体」の内部に何かを入れてしまう危険な要素がある。(見る、聞く、とはずいぶん違う。見る、聞くは非接触である。接触という点では、匂い、匂う、嗅ぐは、食べる、飲む、舐めるに似ている。)
肉体で、外部を消化する--そういう力を池井の肉体はもっている。初めて池井をみたとき、その肥満体に、そうか、何でも肉体のなかに取り込んでしまう人間なのだな、と私は、いまでいう「ひいた」感じになったことも思い出した。私は「食べる」のが苦手な人間である。特に「匂い」を体内に入れることには、非常に抵抗感がある。池井は逆に、何でも「嗅いでしまう」、「匂い」で判断する人間である、と私は思っている。
脱線したが、詩は、このあと、それまででてきたことばを一気に純化させる。ごちゃごちゃがさーっと水底に沈むみたいに、混沌が結晶しながら沈み、混沌(家系の自慢話?)が消えたところから、光が広がる。
あの車座の輪の何処かに、若かりし賢治
の坊主頭もあったはずだが……。子は親になり親は老いやがては朽
ちる。人の世は子から子へ刻々とあらたまり、過去は刻々と忘れ去
られる理なのだが、その理の中でさえ決して喪われることのない
一場面がある。こんや異相のげん月のした。あの第一行を刻し、三
十七歳で逝った賢治。彼を愛し、彼を育んだ形跡もないものたち。
その吐息が、土の匂いが、陽の温もりが、木々の葉擦れが、今、此
処でのことのように、何の前触れもなく、私の中からまざまざと甦
ってきたのだった。
池井の祖母を中心とした車座--そのどこかに賢治がいるということは、現実としてはありえない。けれど、池井はそれを感じる。賢治がいたと覚えている。もしかすると池井自身が「若い賢治」だったかもしれない。賢治は、母だったかもしれない。従兄弟だったかもしれない。「芸術」を愛するこころが、共有されている。そのとき、そこには賢治がいるということだ。「人」ではなく「芸術を愛するということ」(動詞)を池井は感じている。感じていた。
人間は死に、いまは過去のものとなる。けれども、芸術を愛するという「動詞」は消えない。ひとりの人間から別の人間へと引き継がれていく。「共有」されていく。そして、それは、「文字」とか「ことば」のなかで確認もできるのだが……。
池井は、文字とかことばの前に、「匂い」として引き継ぐ。「匂い」を肉体の中に入れてしまう。「匂い」が池井の肉体のなかで引き継がれ、それが、肉体を破って、ふっとあらわれる瞬間がある。「匂い」の空気が、肉体のなかで爆発するのだ。
そして、「吐息」となってあらわれる。「吐息」は「ことば」にならない「声」である。「ことば」以前の「息」、「生き」(いのち)である。
「吐息」のなかには、「土の匂い」がある。陽の温もり(触覚)、木々の葉擦れ(聴覚)もあるが、まず、「匂い」(嗅覚)が池井の最初の感覚として動く。--この最後を読むと、
ほら、
「独特の匂い」が「雰囲気」ではなく「匂い」そのものとして甦るでしょ? 能面の、木の匂い。能面の裏側の、面をつけていたひとの汗の匂い。顔料の匂い。ゴーガンの絵の紙の匂い。色の匂い。祖母の匂い。父母の匂い。従兄弟たちの匂い。
むわーんとするね。むせかえるね。戸を開けて、空気を入れておくれよ。
池井は、戸をあけたりはしない。しっかりと閉めて、そこにある「空気」全部を吸い込み、肺をふくらませ、池井の体温で空気を温めて、吐き出す。
強い体臭。骨太い体臭。
それにうっとりできる人が、池井を好きになれる。
私は、こういう匂いが大嫌い。
大嫌いだけれど、そこには「ほんとう」がある。その「匂い」にとろける肉体があるということも、わかる。大嫌いだから、はっきり認識できる。認識してしまう。「ほんものの匂い」を。
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