朝倉裕子「ひび」「次は」 | 詩はどこにあるか

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朝倉裕子「ひび」「次は」(「火曜日」118 、2014年06月30日発行)

 朝倉裕子「ひび」「次は」を読んで、ちょっと不思議な感じがした。2篇、つづけて引用する。

ひび

両の手をあわせて
水をすくう形の器がある
細い糸を這わせたような筋は
ひび
もうすぐ割れる時がくる
粥をよそっているときか
汁をすすっているときか
ぽっかり
ふたつに開いて
なかから流れ出る
隠すひまもなく



次は

カサブランカのおちょぼ口
あした 咲きます

 2篇の成立過程を知らないのだが、つづけて読むとカサブランカが陶器の花に見えてくる。陶器の器がある日、ひびに沿って割れるように、カサブランカがひびにあわせて口の方から割れて開く。
 それだけではなく、その前の「ひび」に描かれている器が何か花のようにも思えてくる。器が割れて、それぞれが花弁のように広がる。
 
 さらに、「ひび」の書き出しの「両の手をあわせて」ということばにひっぱられるように、「器」と「カサブランカ」が、もしかすると朝倉なのかなあという思いも浮かんでくる。
 朝倉は水をすくうとき、両手をあわせて救うんだな。掌の筋は、細い糸を這わせたよう。その筋の一本一本に朝倉の人生が刻まれている。
 もし、掌が割れるということがあったとしたら、それはどういうことなんだろう。
 わからないけれど、カサブランカの花が開くように、掌もまた花のように開いてほしいと思う。そういう気持ちを誘う。
外を見るひと―梅田智江・谷内修三往復詩集 (象形文字叢書)
梅田 智江/谷内 修三
書肆侃侃房