「一夜」は数十年前の夜を思い出し、そのことを書いている。「数十年たった今、独り居の我が家で書いている私が/情熱でもう一度悪酔いしているではないか。」という最後の二行の、「悪酔い」という表現がとてもおもしろい。しかし、それ以上に、数十年前の記憶がおもしろい。「官能の唇の毒を知った」というような官能の描写よりも、その前に書かれたそっけない(?)描写がいい。
部屋は安っぽく薄汚かった。
曖昧宿の階上の隠れた小部屋だった。
窓から汚い路地が見えた。
労働者の声が立ち上って来た。
愉快そうにトランプをする声だった。
愛とは不似合いな部屋。それは愛ではなく、欲望なのだ。つまり、カヴァフィスは自分のこころのことだけではなく、相手のこころのことも考えていない。愛は場所を選ぶかもしれないが、欲望は場所を選ばない。「安っぽい」「薄汚い」「汚い」ということばが交錯する。そういうものによって欲望は汚れなかった。欲望は、身の回りの汚れを押し退けてがむしゃらに動いている。
その一方で、カヴァフィスの欲望とは無関係な「声」を聞いている。ここに「声」が登場するところがカヴァフィスの特徴である。カヴァフィスは窓からトランプをする労働者の姿を見ているのかもしれない。見ていなくて、声だけを聞いているのかもしれない。声を聞いて想像しているのかもしれない。どちらでもいいのだが、カヴァフィスは声を書かずにはいられない。彼の欲望とはまったく無関係の、そこにあった声を。
それはカヴァフィスの欲望とは無関係であるがゆえに、カヴァフィスの欲望を輝かせる。それは、まわりにある「汚れ」を隠してしまう。労働者の声は、愉快な声である。欲望も、汚れも知らない。いや、そこがどんな場所であるということを知っているかもしれないが、いまは、無関係にトランプをして遊んでいる。その「断絶」が、その場所の汚れを洗い流していく。
耳に入ってくる声、音の純粋さが、カヴァフィスを一瞬、純粋にする。
その瞬間をこそ、カヴァフィスは忘れられない。
カヴァフィスは、そのとき相手の肉体のことは書いていない。唇ということばは出てくるが、相手が何歳だったか、どんな体つきをしていたか書いていない。欲望にとっては、そういうことの方が大事だろうけれど、無視している。
忘れてしまったのか。「唇の毒」「悪酔い」ということばから想像すると、忘れているとは思えない。けれど、それを書かない。
カヴァフィの欲望とは無関係に存在した声が、あの一夜を特徴づけている。