「坂の夕暮れ」
なければならないのか
きのう書いたことのつづきになるが、この「なければならないのか」という一行は一行として不自然である。文章になっていない。前の行の「急ぐ人間の足音に耳を傾け/なければならないのか」とつながって、初めて「意味」がわかる。
「……なければならないのか」はこの作品にはほかにも出てくる。「悲しい記憶の塔へ/もどらなければならいのか」「まだ食物を集めなければならないのか」。他のところでは、「意味」が通じるように書かれているが、私の取り上げたところだけ、一行が独立している。
なぜなんだろう。
「なければならないのか」という「音」が、それ自体として好きだったのだ。西脇はその「な」と「ら行(れ/ら)」が交錯する音が音楽としておもしろいと感じたから、それだけを単独に取り出して聞いてみたかったのだ。音楽として響かせてみたかったのだ。
「意味」ではなく、「音楽」が西脇のことばを動かしている。