西脇順三郎の一行(3) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(3)

 「雨」

青銅をぬらした、噴水をぬらした、

 引用しながら、1行目の「南風は柔い女神をもたらした。」にすればよかったかなあ、「南風(なんぷう)」という音が、そのまま「柔い」という用言と結びつく。「南風は柔い」でひとつのイメージになりながら音も美しい。書き直そうかなあ、と迷っているのだが。
 でも……。
 昔を振り返ってみると、私は「噴水をぬらした、」に驚いた。噴水は水。ぬれている。なぜ、ぬれるのか。雨にぬれる前に、噴水自体の水にぬれている。わざわざ、「ぬれる」という必要がない。
 当然のことだが、そのころ私はギリシャを知らない。しかし、ギリシャが地中海の明るい国と思っている。そして、この雨は、太陽が輝きながらふる「晴れ雨」のようなものだと感じた。
 矛盾--それが驚きとなってあらわれる。
 「青銅」と「噴水」の音の対比は、「南風」ほどの驚きはないのだが。