西脇順三郎の一行(1) | 詩はどこにあるか

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詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

 詩のなかの一行--それについてだけ書いてみたい。ある詩のなかで一行だけ選ぶとするとどの行を選ぶか。なぜその行が好きなのか。
 現代詩文庫「西脇順三郎詩集」をテキストにする。全集でこそやってみたいが、まず予行演習ということろ。(「誰も書かなかった西脇順三郎」の続きを書くためのリハビリを兼ねています。)
 全行引用して感想を書いた方がわかりやすいのかもしれないけれど、あえて引用を少なくして書く。



 「天気」

何人か戸口にて誰かとさゝやく

 書き出しの「(覆された宝石)のやうな朝」が有名だが、私は、この2行目が好き。「何人(なんぴと)」と「誰か」ということばの向き合い方、音の豊富さが気に入っている。
 「何人」も「誰か」も、特定された人物ではない。でも、戸口でことばをかわしているのなら、それはおおよそ見当がつく。聞き覚えのある声の可能性が高い。それをわざと「わからない」ふりをして書いている。そのことによって抽象的な明るさがぐんと増える。具体的なひとが出てくると、きっと重くなる。「意味」がくわわって、「何を」ささやいているのかが気になってしまう。かわされている「意味」を排除して、そこに「ささやく」という行為だけを存在させる。そうすると、そこに「ささやき」の音が軽く響く。