詩は「意味」が変わる瞬間に生まれる。視線の向きがかわり、いままでなかったものが「あたらしい意味」になって動く瞬間に生まれる。
「出口」は、そういう作品。
自分で作った迷路に迷って
出口を探してうろうろしている
たしかに、こころの迷路は自分で作ったものだろう。そうであるなら、
いっそ出口はないと得心して
他でもないここに出口ならぬ
新しい入り口を作ってはどうか
「出口」を「入り口」へ転換する。「出る」のではなく「新しい世界に入る」と思えば、どこにでもその「入り口」はできる。
これはレトリックというものだね。
でも、現実はそんな具合にレトリック通りに自分にははねかえってこないね。レトリックは現実には反映されないね。
「意味」というレトリックでおわる詩は、すこし味気ない。
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| 谷川 俊太郎 | |
| 玉川大学出版部 |
