林嗣夫「明るい余震」 | 詩はどこにあるか

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林嗣夫「明るい余震」(「兆」159 、2013年08月01日発行)

 林嗣夫「明るい余震」を読んでいて、一瞬タイトルを忘れた。

近くの畑に枝豆の種を植えて
庭の蛇口で手足を洗って
立ち上がったとき
そばの これから咲こうとするアジサイの花房で
日光浴をしていたトカゲが
ぴょーんと
下に向かってダイビングした
宇宙遊泳するように

いや
わたしが立ち上がったからトカゲが驚いたのか
トカゲが光ったからわたしが立ったのか
それとも何か
例えば
先ほど植えた枝豆のせいだったのか
アジサイの小枝が揺れた

 「アジサイの小枝が揺れた」から「地震(余震)」を思い浮かべればいいのかもしれないけれど、地面が揺れる感じがしない。トカゲがダイビングする感じがいいなあ、宇宙遊泳か、とこころが別な方向に動いて行ってしまう。
 で、最後の連。

トカゲはダイビングして
どこの木の下闇に潜ったのだろう
わたしは屋根の下に隠れたのだが
しばらく
明るい宇宙の
余震がつづいた

 あ、「宇宙の余震」か。
 林が立ち上がり、トカゲがアジサイから飛び下りる。そこにどんな繋がりがあるか。わからないけれど、それは「宇宙」で起きたことがらなのだ。宇宙は、そのことに驚いて、まだ揺れている。
 宇宙はどこからでも揺れるのだね。

 (きょうから右手もつかってみる。恐る恐る、である。ことばがなかなか動かない。ことばは、やっぱり頭だけで動かすものではない、ということを実感する日々。--ということで、短い感想。)
 

風―林嗣夫自選詩集
林 嗣夫
ミッドナイトプレス