メリル・ストリープ、トミー・リー・ジョーンズ、スティーブ・カレルの共演。それだけでおもしろそうなのだが、これが完全な空振り。
原因は簡単。メリル・ストリープがオーバーアクション。喜劇だからオーバーアクションでもかまわないのだが、こういう芝居には守らなければならない「基本」というものがある。感情の出てこない演技をていねいに描くこと。
この映画に則していうと、メリル・ストリープが朝食をつくる、後片付けをする、ブティックで仕事をする--こういうシーン。メリル・ストリープはベーコンエッグをつくる。そこへトミー・リー・ジョーンズがあらわれる。トミー・リー・ジョーンズは決まりきった順序で椅子に鞄を置き、上着をかけ、それから椅子に座る。すると、まるで流れ作業のようにメリル・ストリープがベーコンエッグを出す。ここまでは、いい。
そのあと。
メリル・ストリープが皿をかたづけ、洗い物をする。このシーン。最後の水切りのシーンだけが映像化される。スクリーンに映し出される。つまり。メリル・ストリープは実際には手を濡らしていない。洗剤を付けて皿を洗う、という作業をせずに、皿の水切りだけを演じている。一度だけならまだごまかせるが、このシーンは2度あり、2度とも水切りだけ。これではメリル・ストリープの「肉体」のなかに日常がしみこまない。日常がしみこまないから、それから先の芝居が「日常」ではなくなる。絵空事の芝居。日常的なことなのに、ぜんぜん日常がにおってこない。
セックステクニックを磨くために本屋で本を探したり、スーパーで買い物をしたりというシーンも、「日常」から逸脱してしまってオーバーアクションになってしまっているので、その瞬間のドタバタはおかしいといえばおかしいけれど、じっくりとつたわってこない。単なる「笑い」のためのアクションに落ちている。これは演技ではなく、手抜き。コミックをなぞっているだけ。そこにメリル・ストリープが出てきていない。
トミー・リー・ジョーンズは、最初にカウンセラーを受けるシーンで、パンツの折り目を指ではさんで深く刻むシーンが傑作だし、朝食の値段にいちいちケチをつけたりするシーンなど、「日常」をぐいとおさえて演技しているだけに、メリル・ストリープの演技がよけいにわざとらしく感じられる。
スティーブ・カレルは彼自身が笑いの対象にならないと実力が発揮できないのだろうか。変にまともで味気ない。ミスキャストだね。
映画ではなく、舞台(芝居)なら、もっと喜劇になったかもしれない。
(2013年08月04日、ソラリアシネマ9)
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