出演 テレンス・スタンプ、バネッサ・レッドグレーブ、バネッサ・レッドグレーブ
お年寄りの音楽映画(合唱映画)といえば、「ヤング@ハート」がおもしろかった。純粋に音楽を楽しんでいる感じがとてもいい。(「カルテット」は上品すぎて、余り楽しくなかった。だいたい「本番」がないのが、とてもつまらない。)「アンコール!!」は素人が歌うという点で「ヤング@ハート」の方に近いのだが、音楽の楽しみと同時に夫婦の愛を描いていて、なかなかせつない。
テレンス・スタンプは吹き替えではなくて実際に歌っているのだと思うが(私は目が悪いのでクレジットでは確認できなかった)、ごつごつした感じがとてもよかった。死んだ妻に聞かせる、死んだ妻に届ける--という思いが、くっきりと浮かび上がる。
で、音痴の私は歌の批評はやめておいて、テレンス・スタンプの手の演技について書いておきたい。これが、泣かせるのである。
バネッサ・レッドグレーブが病気で倒れる。病院に入院する。ベッドに付き添って手を握る。このとき、二人の手(左手)がとても遠い。テレンス・スタンプはベッドから離れたところに椅子を置き、そこで座って、手だけ伸ばして(伸ばせるだけ伸ばして)、バネッサの手に触れる。近づいて手を握ればいいのに、そうしない。
家に帰って、ひとりのベッド。そっと左手を伸ばす。そこには妻はいない。そのときの手の伸ばし方。ほんとうに少しだけしか伸ばさないのだが、それは、それ以上伸ばせば妻がいないということを左手で知ってしまうのがこわくてそうしているのである。
妻が退院してきてから、ふたりで昔のようにならんで寝る。そのとき左手がバネッサの肩を引き寄せる。伸ばして、引き寄せる。そこに愛があふれている。
そして死んでしまったあと、テレンス・スタンプはベッドでは眠れない。ソファで寝ている。左手がベッドの空白を感じ取るのがこわいのだ。
この、左手の演技が、私はとても気に入った。頑固で、冷たい感じのしかめっ面しか見せないのだが、左手が、いつも愛を語っている。
病院で遠くから手を伸ばしているのは、テレンス・スタンプの「恥ずかしさ」のあらわれである。ひとの見ている場所で(ドアが開かれ、そこから撮影されていた)、愛を「見せる」(愛を見られる)ことが苦手なのである。その「苦手」をテレンス・スタンプは歌うことで克服していくというのがこの映画のストーリーなのだ。
バネッサが死んだあと、手は、動きようがない。動かしようがない。せいぜい、孫娘にお菓子を渡すくらいである。で、手の代わりに歌が主役になってストーリーが展開するのだが……。
ひとつ、不満。
予告編では、テレンス・スタンプがソロを歌うシーンで歌いだしにつまったとき、観客席から孫娘が「カモーン・グランパ(おじいちゃん、がんばれ)」と声をかける。そのあと、ステージのテレンス・スタンプが背中で手を握り締める。左手が右手か、はっきりおぼえていないが……、それまでの演技から想像すると左手だろう。左手で、バネッサの手を握りしめて、「歌うから、支えてくれ」とでもいうように動くのである。そして歌いだす(予告編では歌いだすシーンはないが……)。
その左手の演技が本編ではない。「割愛」というより、これは編集者がテレンス・スタンプの演技を見落としているのである。その結果、ストーリーが歌に収斂してしまう。まあ、そのため感動しやすくはなっているのだが。
しかし、これは、非常に残念である。歌とストーリーだけを重ね合わせるなら、テレンス・スタンプとバネッサ・レッドグレープでなくてもいいだろう。せっかく役者を登場させているのだから、役者の肉体をもっとていねいに編集して、演技を生かしてもらいたい。もし別バージョンをつくる機会があるなら、ぜひ、その左手のシーンを復活してもらいたい。そのシーンがあるなら、私はこの映画に★を5個つける。歌(その歌詞)だけで映画が成り立っているわけではない。
(2013年07月10日、天神東宝5)
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