八柳李花ー谷内修三往復詩(7) | 詩はどこにあるか

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歌が逆さまに落ちてゆく  谷内修三



 歌が逆さまに落ちてゆく街角で、きのう私はほんとうの分岐点を見つけたと思い、そのことばの角を曲がってみたが、新しいものはなにもなかった。アスファルトの色が変わるところに立てば、十一月の冷気がしみついた枯葉の比喩も、日記の罫線のような薄い雨の比喩も、どんな意味かわかってしまった。

 前を歩く男のことばのふりをして歩きはじめてみるが(追い抜かないように)、痛みを抱えてうずくまっているはずのことばは、私が近づくと幾つものに分かれ、地下鉄の階段を互いに追いかけるように駆け降りてゆくか、交差し、ぶつかりあって違う音になり、方角をあいまいに散乱させてしまうのだった。

 こんなところで見つけられるものは、気を紛らわすためにメモ帳のことばを消した瞬間に感じる漠然とした余白だけである。あるいは繰り返したどる、いつものことばの道順そのものである。結局私は、同じ論理を二度と踏まないために、強引に分岐点を作っただけに過ぎない。

 歌が逆さまに落ちてゆく街角で、