スティーヴン・ソダーバーグ監督「コンテイジョン」(★★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 スティーヴン・ソダーバーグ 出演 マット・デイモン、ケイト・ウィンスレット、ローレンス・フィッシュバーン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ

 映像の情報量が非常に多い。ウィルスの構造や変位のように見てもそれが正しいかどうかわからないものもある。そしてそれが、これはいったい何?と思う間もなく次々に展開してゆく。この情報の洪水とスピードがこの映画の命である。実際に変位ウィルスが猛威をふるう時というのは何もわからないまま状況が変化してゆくのだろうと納得させられる。
 おもしろいのは女優陣である。グウィネス・パルトロウは出てきたかと思うとすぐ死んでしまうのだが、この死に顔がとてもいい。無機質で、何が起きたか分からないまま、つまり死の準備ができないまま死んだ人間の、他者とのつながりを欠いた顔をしている。病理解剖されるときの顔も、うーん、とうなりながら見とれてしまった。どうやって撮影したのかわからないが、いやあ、死んでも生きているねえ。この表情だけでアカデミー賞決定と思った。賞なんか関係ないのだけど。好きな女優ではないのだが、とっても好きになってしまった。死んで、解剖される顔に見とれる――という私は変態?かもしれない、なんて心配までしてしまった。あ、それほど引き込まれたということです。この顔を見るだけのために、もう一回見ようかな、とも思った。
 それに、死んでからも映画を支配してゆくうさんくささがとてもいい。彼女の不倫がウィルスを思わぬ方向へ拡散させてゆくのだが、この「裏切り」の平然さと、死ぬ時の「なぜ?」の対比――その表情、肉体の動きが、役者を見ているということ、映画を見ているということを忘れさせる。脚本というか、映画をはみ出した情報がとても多い役者なのだ。
 ケイト・ウィンスレットは状況を完全に理解しているので、同じウィルスに侵され死んでゆくのだが表情がまったく違う。そうか、死を理解しているかどうかで、人間の顔はこんなに違うのかと驚いてしまう。ケイト・ウィンスレットは、死ぬ寸前に、隣のベッドで「寒い、毛布をくれ」という男に自分の来ているコートを譲るそぶりを見せるが、これがとても自然。他のシーンでも、でてくるだけで状況を完全に把握していることがよくわかる。存在感がすごいなあ。やはり肉体(顔)の情報量が多いのだ。
 ジュード・ロウは女優ではなのだが、色の売り方(?)というのか、美形であることで嘘を隠してしまうところが楽しい。これで体が大きければ違ってくるのかもしれないが、小ぶり(中型?)の野心家は、こんな風に世界を渡り歩き、自己の存在感を確立するのか――と、間違った(?)情報を正確に伝える。
 という具合に、個々に見ていくとおもしろい映画なのだが、私にはちょっと物足りない。人間は本質をこんな具合に肉体の中にかくしているのか、それはこんな時に美しく出てくるのか――というような感動がない。グウィネス・パルトロウたちの頑張りを「ストーリー」の方が上回ってしまった。人間ではなく、ストーリーの映画になってしまった。ソダーバーグのストーリーを突き破りあふれだす人間の魅力というのが完全に輝いているとは言えないのが、とても残念。
 ストーリー優先の意識が働いたのかもしれない。映画が「2日目」から始まり「1日目」で終わる種明かし(その前のワクチン製造を含む)という構造、その「文字」による説明などが映画の完成度を邪魔しているのかもしれない。






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