監督 イェジ・アントチャク 出演 ピョートル・アダムチク、ダヌタ・ステンカ、ボジェナ・スタフラ、アダム・ヴォロノヴィチ
あ、主役はショパンじゃなくて、ジョルジュ・サンド。ショパンは狂言回しだねえ。それはそれでいいんだろうけれど、私はジョルジュ・サンドを読んだことがない。で、どのシーンにも共感を感じなかった。
ショパンを、ジョルジュ・サンドと娘と息子が、三つ巴になって奪い合う。いわば家族劇なのである。それも本当はショパンを奪い合うというより、ショパンに奪われた母(ジョルジュ・サンド)の愛をショパンから奪い返すという戦いである。これはこれで、そうか、母親への愛の渇望はこんなに激しいのか、と思わないでもないが、どうもしっくりこない。
音楽とかみ合わないのである。
もっとも、ジョルジュ・サンド一家の「家族愛」の形と、ショパンの一家の「家族愛」の比較、その比較をとおしたショパンとジョルジュ・サンドの違いを描いていると思えば違ったものが見えてくるかもしれない。
ショパン一家には「家族愛」の葛藤がなかった。そのかわり、ショパンに家族全員の愛が注がれていた。ショパンはその愛のなかから誕生した。
うーん、しかし、これもうまく音楽とかみ合わない。
映像と音楽の関係は、なにも音楽はバックグラウンドミュージックであれというつもりはないのだけれど。
私には、しっくりと感じられない。
スクリーンにうごめく映像と、ショパンの音楽が、同じ感情から噴出してくるものとは感じられないのである。唯一、ショパンが思い出す星の歌以外は・・・。
あ、もう一曲あった。最初の方に演奏される「革命」。これはすごいなあ。「革命」を聞いたとき、どこが革命? 繊細すぎて、社会がかわる激動のパワーとは違うものを追っていない?という疑問にとらわれるけれど、そうか、ショパンが自分の存在基盤を奪われた悲しみの曲なんだ、と知った。激しい映像の背後で、旋律が震えるように泣いている。
でも、この不思議な一体感は、実際の「ストーリー」が始まると、消えてしまう。
私のように、ショパンの音楽にもジョルジュ・サンドの文学にも疎い人間にはわからない何かが描かれているのかもしれない。リストとショパンの関係とか。きっと、これはショパンにもリストにも、ジョルジュ・サンドにも精通した人向けの映画なのである。
まあ、しかし「革命」だけを聞くつもりでいけば、おもしろいかもしれない。私は「革命」に衝撃を受けすぎて、それ以後を見落としているのかもしれない。聞き落としているのかもしれない。
(追加の★は「革命」の演奏に)
(2011年05月24日、KBCシネマ1)