奇妙になつかしい映画である。なぜなんだろうなあ、と思ったら、ニューヨークの映画だからだ。最近のウディ・アレンはマンハッタンを離れ、ヨーロッパに行ってしまっていたが、なぜか、ふたたびマンハッタン。ウディ・アレンにはやはりマンハッタンが似合う。
私のまったくの個人的直感なのだけれど、アメリカの自由主義とヨーロッパの自由主義はまったく違う。アメリカの自由主義は、「全体自由主義」。個人個人が独立して自由というよりは自由な組織(国家)を思い描いている。ひとりひとりが自由であることができる国家を常に念頭に置いている。個人の自由を守るために国家があり、個人はその自由を守るために他者と連携するという感じ。けれども、ヨーロッパの自由主義は、国家(組織)から個人が自由であるという感じ。国家を必要としない自由。個人主義。別なことばでいうと、わがまま。
で、私の感覚からいうと、ウディ・アレンの味はヨーロッパの自由、ヨーロッパの個人主義の匂いがする。個人で人生を生きる、という感覚。この映画の主人公はノーベル賞候補にもあがった物理学者という設定だが、それはようするに普遍的な知識・思考を個人の存在基盤にしていて、常に「知性」へ還ることで「個人」になる、他人と向き合うという生き方である。絶対的な「普遍」を常に自己の中にもっている。独善的な人間観察、批判なのだけれど、その「独善」のなかに、芯がある。「国家」などは関係ない。自分自身の「普遍」を基盤にして、そこから自己を拡大していく。そして、その過程で他者をつぎつぎに批判する。その結果がシニカル、クールである。他者との距離が、必然的に、彼のまわりに存在する。この「距離」がウディ・アレンの考える「自由」なのだ。ラリー・デヴィッドがウディ・アレンの思想を代弁している。
そのヨーロッパ的個人主義がなぜマンハッタンに似合うのか。そこはだれでもがやってくる「都市」であり、「国家」ではないからだ。マンハッタンにはひとが住んでいると同時にひとが行き来するのだ。(ヨーロッパの街も、そこにひとが住んでいると同時に、そこではひとが行き来するのである。)この映画では、ひとが行き来するということがエヴァン・レイチェル・ウッドと彼女の両親によって象徴されている。マンハッタンに出てくることで、他人に出会い、それまでエヴァン・レイチェル・ウッドと両親を縛っていた「全体主義」としての「宗教」の呪縛を切り離し、一夫一婦制を切り離し、異性愛という制度を解体する。マンハッタンで、エヴァン・レイチェル・ウッドの「一家」は「一家」から解放され、個人になってしまう。
行き来するひとは、常に他人と出会うということであり、他人と出会ったとき、「国家」の思想ではなく、「個人」の思想をもって他者とぶつかりあわなければならない。自分を守ってくれるのは、「母国」ではなく、彼自身の思想である。そういうことが起きるのが、マンハッタンという「都市」なのだ。ウディ・アレンは「国家」ではなく「都市」の思想を生きている。「都市」での生き方を描いている。
ヨーロッパではあたりまえのことがアメリカではあたりまえではない。けれど、ニューヨーク、マンハッタンではあたりまえである。ニューヨークは、「世界の都市」なのである。パリやロンドンやバルセロナのように。--そして、ウディ・アレンの思想がいきいきするのは、やはり、常に「アメリカ」が侵入してくる街、マンハッタンなのである。エヴァン・レイチェル・ウッドの「一家」はパリやロンドンへはやってこない。けれど地つづきのマンハッタンへはやってくる。そこで衝突が起きる。人間の化学反応が起きるのである。
あ、なんだか、面倒くさいことを書いてしまったなあ。ウディ・アレンのことばの洪水にやられてしまったのかもしれないなあ。もっとエヴァン・レイチェル・ウッドの「一家」の解体にそって書けばよかったのかもしれないなあ。「知性(自由なことば)」によって家族から解放される若い女、「芸術(写真)」によって個人の能力にめざめる母親、ゲイと出会うことで自分を取り戻す父親。--そこでは、ラリー・デヴィッド(ウディ・アレンの分身)は狂言回しである。
ラリー・デヴィッドと出会うことで「個人」になっていく「一家」。そして「個人」になった彼らのまわりで新しく組み立てられる「距離」。二夫一婦(?)という三角関係。ゲイのカップル。そういう「関係」を受け入れる「街(都市)」としてのマンハッタン。それは、なにも超高層ビルの、超機能的なビルの林立するマンハッタンではなく、下町の、古いビル、緑のあふれるマンハッタンの風景である。マンハッタンは、昔から、そういう町だったのだ。
この映画は、「人生」讃歌というよりも、ニューヨーク讃歌の映画なのである。なぜだかわからないが、私は、遠い遠いむかしにみたウディ・アレンの映画もふと思い出すのである。ダイアン・キートンの出ていたニューヨークの映画を思い出し、あ、なつかしいなあと思うのである。
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