誰も書かなかった西脇順三郎(181 ) | 詩はどこにあるか

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 『えてるにたす』。「えてるにたす」のⅠつづき。

銅貨の中の
静寂

 この2行が前後の連とどう関係するのか、見当がつかない。けれど、この2行が私はとても好きである。
 「金貨」のなかに「静寂」があるとは私には思えない。「銀貨」ならありうると思う。そうして、私には「銀貨」の場合、その「静寂」の音は--というのは、へんな言い方なのだが--透明であるように感じられる。「銀貨」は「静寂」というより「沈黙」かもしれない。「銅貨」の場合、透明感のかわりにやわらかい深さがある。何か、遠い「静寂」。それも水平方向に遠いではなく、垂直方向に遠い感じがする。やわらかくやわらかく沈んでいく感じがするのである。

 こういうことは感覚の世界で、あらゆることにまったく根拠がない。根拠かないとわかっているから私自身も困るのだが、こういう根拠のないことを書いていると、何かが見つかりそうな気もする。
 だから書いておくのである。

 この連につづく部分。

夕陽はコップの限界を越えて
限りなく去る
黒いコップの輪郭が残る
女神の輪郭は
猫の瞳孔の中をさまよう

 これは「銅貨」の2行に比べると、物足りない。コップの中を(テーブルの上に置いたコップ、あるいは窓辺に置いたコップの越しに)夕陽が沈んでいく。光が去って、コップの輪郭が残る。黒く見える。「限界を越えて」ということばの速さにひかれるけれど、書かれていることが「イメージ」になりすぎる。目に見えすぎる。そういう感じが物足りなさにつながる。
 「女神」の2行は、「輪郭」のつながりで出てくのだが、私にはなんだかうるさく感じられる。
 「銅貨」の簡潔過ぎる「静寂」を聞いたからかもしれない。



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西脇 順三郎
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