ナボコフ『賜物』(36) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

 フョードル・コンスタンチノヴィチが徒歩で家へ帰る場面。

やりきれない失望と(自分の本の成功をいったんあまりに鮮明に思い描いてしまったせいだ)、左の靴に浸みこんでくる冷たい水と、新しい場所でこれから過ごさなければならない夜の恐怖が組み合わせり、その組み合わせ全体のせいで苦々しさが強まって不安をかき立てられた。
                                 (84ページ)

 「左の靴に浸みこんでくる冷たい水」というのは水の描写だが、水を超えて、肉体が見える。「冷たい」と感じる肉体が見える。この肉体の感覚が、不安、恐怖、苦々しさというこころを、肉体そのものにする。
 感情、心理というのは、人間の「精神」(こころ)の領域の問題だが、精神は精神自体としては存在しない。いつも肉体とともにある。分離できない。
 ナボコフが人間を「一元論」的に考えていたかどうか、はっきりとはわからないが、ナボコフにはこういう一元論的な人間把握の仕方がある。



マーシェンカ (新潮・現代世界の文学)
V・ナボコフ
新潮社