リドリー・スコット監督「ロビン・フッド」(★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 リドリー・スコット 出演 ラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット

 男、男、男の映画。ラッセル・クロウは「グラディエーター」以来、男を売り物にしているけれど、うーん、私には女っぽく見える。「LAコンフィデンシャル」で見た時の印象が強いのかなあ。男だけれど、女に影響されて動くタイプ。(リドリー・スコットには違ったふうに見えるのかもしれないけれど。)だから、なんだか見ていて違和感がある。マックス・フォン・シドウのようなカリスマ性もないし。(ある、という人もいるだろうけれど。)透明感というより、不透明感がラッセル・クロウの「特権的肉体」だと思うのだが。その不透明感が女を誘うんだと思うんだけれどなあ・・・。あの、くぐもったような、甘い声なんかも、闘う男じゃないよなあ。
一方、ケイト・ブランシェットの透明感は剛直性があり、見ていて、あ、男、と思ってしまう。で、男、男、男のなかに入って、毅然とした眼で世界を見つめると、本当に女性の感じがしない。
いっそうのこと、ラッセル・クロウとケイト・ブランシェットを入れ替えたらと思うくらいである。
まあ、こんなことを思いながら見たせいもあるのか、どうも、おもしろくない。戦闘シーンが見せ場なのだけれど、海岸・水中の流血、弓(弾丸)はすでにスピルバーグの「プライベート・ライアン」で見てしまったしなあ。武器に占める飛び道具(?)が少ない分だけ、肉体がぶつかり合うんだけれど、新しい映像という感じがしないなあ。馬がはね上げる砂や、波しぶきがスクリーンに飛び散るけれど、そんな「もの」ではなく、やっぱり肉体そのものを見たい。リドリー・スコットはロビン・フッド時代の、自然の「肉体」、森や海や砂を撮ったんだ、というかもしれないけれど。でも、やっぱり見たいのは、重たい武器を持って人間同士がぶつかるとき、肉体はどんな動きをするのか。そこにどんなドラマがあるのか。大きくあけた口の奥からラッセル・クロウの銀歯が見えるのが見せ場というんじゃ、笑ってしまう。

映画そのものと関係があるかないか、よくわからないが、ウィリアム・ハートって、こんなに髪があった? 髪を増やして、美男子に戻っているのが不思議だった。マックス・フォン・シドウにしろ、ウィリアム・ハートにしろ、やせた男の方が、こういう映画では禁欲的な色気がにじむ。



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