ナボコフ『賜物』(4) | 詩はどこにあるか

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ナボコフ『賜物』(4)

いつか暇なときにでも--と彼は考えた--三、四種類の店が交替して現れる順序を研究して、その順序には独自の構成上の法則があるという推測が正しいことを検証したら、面白いだろう。つまり一番頻繁に現れる組み合わせを見つければ、当の町の平均的リズムが導き出せるのではないか。
                                 (10ページ)

 リズムを何に見つけるか。リズムとはもともと「音」の概念だと思う。ところがナボコフは「音」ではなく、店の「配置」、つまり空間のなかに感じている。それは「絵画的」といえるかもしれない。「絵画」のなかにあらわれる一定の色、形--それはたしかにリズムを呼び覚ます。
 この小説の主人公は、それを「絵画」(色、形)ではなく、類似の「もの」(ここでは商店の種類)のなかに見つけ出そうとしている。
 このリズム感覚はとても興味深い。
 ナボコフの感覚が、音は音として独立してあるのではなく、色も色として独立してあるのではない。音にも色にも何かが共通している。「共通感覚」というものがある。--というだけではなく、それを人の「暮らし」、「町全体」のあり方というような非常に雑多なもののなかにまで押し広げ、把握しようとしている。(いや、すでに把握しているのかもしれない。)
 ナボコフの文体は、さまざまな対象を飲み込んで、飲み込むたびに自在さを増して広がっていくが、それは多くのものを飲み込むほど、強靱になっていく。きっと「リズム」が強くなっていくのだろう。
 最初はぼんやりしていたリズムが、互いに呼びあいながら、見えなかったリズムを補強し、存在感を増してくる。

例えば、煙草屋、薬局、八百屋、といった具合に。タンネンベルク通りでこの三つはばらばらで、それぞれが別の角にあったが、ひょっとしたら、ここではリズムの群づくりはまだ始まっていないのだろう将来、対位法に従って、店たちが次第に(天守が破産したり、引っ越したりするにつれて)集まってくるかもしれない。
                                 (10ページ)

 ナボコフがいま書いていること--それはナボコフがここで書いていることばを借用して言い換えれば、この小説のリズムづくりはまた始まっていないのだろう。これから始まる。ナボコフ独特の対位法にしたがって、ことばが集まり、リズムになっていくに違いない。ことばがことばを呼び寄せ、群れをつる。そこからリズムが生まれてくる。それは小説が進むに従って聞こえてくるリズムだ。



ナボコフ短篇全集〈1〉
ウラジーミル ナボコフ
作品社


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