私はふいに立ち止まる。
乞食のカメラはすべて四つに見える
恋人の眼は八つになるへそが四つに
この四は何だろう。なぜ二つや三つではなく、四つなのか。すべてが四倍に見えるとき、二つある眼が八つになるのは簡単な数学なのだが、なぜか、この部分で私は止まってしまうのだ。私が「四つ」という単位になれていないせいかもしれない。私のリズムは二つ、三つだが、西脇のリズムは三つ、四つ、いや四つ、三つかもしれない。
こういうことはあまりに感覚的過ぎて説明がつかないのだが(どう語っていいかわからないのだが)、私のリズムと西脇のリズムは合わない。そして、合わないことがとても刺激的なのだ。私がもっていないリズムが西脇にはあって、それが西脇のことばを動かしている。私は西脇のことばを「乱調」と感じる。乱調の美がある感じる。けれど、もしかすると、西脇にはそれは乱調ではないのかもしれない。
「あなたはキケロの全集をおもちでしようか
ラテン語をわたしはこのごろあまりやつており
ませんが 少し勉強したと思いますの--
キケロの演説や手紙などを読みたいと
思つておりますの--お貸し下さるかそれとも
どこでどうしてかりられますか教えて下さつた
ら大変うれしいのですが--」
この行のわたりは、とても変だが、その変なところが私には不思議に快感である。行のわたりのたびに、からだが軽くなる。私のことばのリズムがかちかちなのを、西脇のリズムが突き破っていく。その、突き破られる瞬間が快感である。そして、それは大きなものを小さなもので割るのではなく、小さなものを大きなものが内側から破壊していく感じがある。
私のリズムが2、3拍なのに対し、西脇はおそらく4拍のリズムでことばが動くのだ。音楽の場合、ひとつの長さを分割してリズムがある。けれど、言語の場合、ことばを分割してではなく、ことばを積み重ねてリズムをつくる。2、3拍より4拍の方が大きい。だから、2、3拍のなかに4拍を入れると、どうしても内部から破裂するしかないのである。この瞬間が、なんともいえず楽しい。あ、そんなふうに世界が見えるのか、と驚くのである。
ただ、というべきかどうなのか、適当なことばがみつからないが、大きなリズムは小さなリズムでは測れない。私の2拍をふたつ重ねたら4拍になるかといえば、そうはならない。リズムが届かない(?)のだ。
たとえば、
この女の手紙をもらつたホッグは
太陽に感謝して蝋燭を吹き消した
淋しい弓づくりはリッチモンドの小山に
林檎酒の祭をかいたカルヴァトは
どこかに住んでいたが
ゴボーの花と葉をかいたクロームは
黄色い世界が好きだった
野原と路と雲を指してみせる
旅人と犬のわきに日まわりの花が
永遠に見えるくらやみの心のはてだ
何かが過剰に存在する。西脇のことばは追いかけても追いかけても、その先へ進んでしまっている。行のわたりのことばのように、あ、いま、西脇のことばが私のことばの枠を突き破った。そのために私のことばが「乱調」に墜落していく、あるいは「乱調」へ飛び散っていく--というのではなく、ここでは私のことばは連続したまま、内部から何かがぎゅうっと伸びてくるもののために引き伸ばされる。引き伸ばされるのだが、それは実際に私のことばが拡張するというのではなく、伸ばされても伸ばされても、実は西脇には届かないという感じがする。
あ、こんなことを書くよりも、「四つ」については、別に書きたいことがあったのだ。それは、次の部分。
レンズみがきの永遠のカメラに
四重の四重のその四重の一つしか
みえないまたその一つもゼロに
なつて四重のゼロは単にゼロではない
ゼロがゼロに見えるときは
存在のゼロのゼロの夕暮れの日の
女のなげすてた野原にふく風に
また夕暮れのゼロの夕暮れが来た
「四」と「一」と「ゼロ」。この数の「基数」のあり方--これが、私の場合とはまったく違う。「一」と「ゼロ」。私のリズムはそれがたぶん基本である。「一」と「ゼロ」とで「二」。「ゼロ」「一」「二」で合計「三」。私のリズムはそういう感じだ。でも、西脇の場合「三」がなくて、突然「四」。
これは、どういうことかなあ。
私はたぶん足し算なのだ。0+1=1、そこに数字がふたつあり、「2」が誕生する。それを合わせて0+1+2=3。ところが西脇は足し算ではなく掛け算なのだ。0と1、ふたつの数字。二つのものがもう一つ追加されると2×2=4。「四」はここから出てくる。(--私の書いている「算数」はちょっと奇妙だけれど、私は、そんなふうに感じている。)
2+2というのは私の4の出し方だが、西脇は2×2=4の世界。そういえばいいだろうか。2+2=4も2×2=4も4であること、そしてその内容が同じなのだが、それは見かけのことであって、算数の「式」が違う。つまり、考え方の基本が違う。
そういうことが、ある瞬間、ふっと感じられるのである。
「四重」ということばが出てくるが、その「重」。それは足し算ではなく、掛け算なのだ。西脇は掛け算。そのスピードが、私のことばを破っていく。
![]() | 西脇順三郎コレクション〈第2巻〉詩集2 |
| 西脇 順三郎 | |
| 慶應義塾大学出版会 |
