パウル クレー パウル クレー
最終のインク
最終の形
最終の色
こういう数行を読むと、西脇が絵画に強い関心と、西脇自身の鑑賞眼をもっていることがうかがえる。西脇が絵画的詩人と呼ばれるとき、きっとこういう行は「傍証」としてあげられるのだと思う。
この「絵画的描写」はまだまだつづく。
最終の欲情
ホテルのランチでたべてやせた鶏も
砂漠にのさばるスフィンクスにしかみえない
藪の中にするオレーアディス ペディトゥース!
あいみてののちにくらべれば
セザンヌのこともピカソのことも思わなかった
エビヅルノブドウの線
ツルウメモドキの色
ヤブジラミの点点
「ホテルのランチでたべてやせた鶏」という意表をついたことばもおもしろいし、「エビヅルノブドウ」云々の植物もおもしろいが、それよりももっとおもしろいのが、
あいみてののちにくらべれば
である。「来歴」をもっていることば、そして、その「音」である。多くのカタカナにまじって、絶対に(ということはないかもしれないけれど、一般的に言って、絶対に)カタカナでは書かないことばが乱入してくる。それが、ことばの重力場を動かす。それまでつづいていたつながりを切断してしまう。
切断するだけではなく、遠い「過去」をそこに噴出させる。
こういう瞬間が、西脇の読んでいて、楽しいと感じるときだ。
「あいみてののちにくらべれば」ということばのなかに「絵画的要素」が何もないのがいい。「あいみての」の「みて」が目に関係しているから「絵画」につうじるという見方もあるかもしれないけれど、ここでは和歌が、ことばが引用されているのであって、絵画的素材は引用されていない。
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