高橋睦郎『百枕』(19) | 詩はどこにあるか

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高橋睦郎『百枕』(19)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)

 「枕炭--一月」。「枕炭」ということばを私は知らない。しかし、文字を見た瞬間、見当がついた。炭をつかった種火、灰の下につつんで残しておく火のついた炭のことだろう、と思った。

跳ネ炭も更けて枕の欲しき頃

枕炭埋(い)け寝(い)ぬることのみ残る

 これは、雪国の、田舎育ちの私にはなつかしい光景である。炭はときどきはじける。最初は活気がある。けれど、だんだん静かになってくる。火鉢を囲んで活発に話していた話もだんだんけだるくなってきた。もう、寝ようか。種火の炭を大事に灰の奥に埋めた。もう寝るだけだ……。
 「枕炭埋け」ということばもあるし、たぶん、そのことだろう。

先づたのむ枕炭あり吹雪く夜も

 この「頼む」は「頼もしい」に通じる。同じだ。動詞と形容詞がかよいあい、ことばがふくらむ。豊かになる。こういう瞬間、何か、ほっとする気持ちになる。
 俳句のように短いことばの文芸には、こういうことばがとてもあっている。形容詞を動詞で言い換える。動詞を形容詞で言い換える。名詞を動詞で言い換え、動詞を名詞で言い換える。そのとき、意識が耕される。



 反句が、とても華麗である。

雪女郎目のさながらに枕炭

 あ、その目がなつかしい、たのもしい、なんて騙されて--あ、騙されてみたいねえ。しかし。
 いろっぽい。

 エッセイのなかに紹介されていた蕪村の句もとても好きだ。

埋火や終(つい)には煮ゆる鍋のもの

 灰の下に隠された炭の火。それは意外に力がある。無駄にしてはもったいないから鍋をかけておく。そうすると、その鍋がついに煮える。
 雪女の目の奥で燃えている「愛」も「憎しみ」も、そんな力を持っているかもしれない。



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田辺 聖子,山折 哲雄,堺屋 太一,高橋 睦郎,平山 郁夫
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