八重洋一郎『白い声』 | 詩はどこにあるか

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八重洋一郎『白い声』(澪標、2010年06月30日発行)

 「暗礁(リーフ)」という作品が巻頭にある。その詩にいきなり引きこまれた。

島は蛇にかこまれている
脱皮した
脱肉した
脱魂した
白骨だけになって幾重にも幾重にもはしりくねっている
しら波

問いは消え
疑いは消え
答えさえも消えはてて けれどまた
始まりをくりかえす 暗い
暗い
潮鳴り

 とても抽象的な詩である。わかるのはリーフを描いているらしいこと。そのリーフは「幾重」にもなっている。そして、たぶん白い。それを八重は「蛇」のようだと感じている。蛇が島を囲んでいる。
 ただし、その蛇は生きてはいない。
 「脱皮」は蛇が成長するときの過程だが、それから先、「脱肉」というのは、何? 「脱魂」というのは、何? 「白骨」は死んだあとの状態だが、蛇が脱皮、脱肉、脱魂し、白骨化する--そこにはいったい何が働いているのか。何か蛇に死なせたのか。
 八重は、その「答え」を書かない。
 その問いは、もう八重のなかでくりかえされてきた。くりかえす必要がないのだ。答えもくりかえしてきた。八重のなかで「結論」はでている。決着はついている。ことばにする必要などないのだ。
 けれども。
 けれども、そのリーフをみるたびに、そのことばにならないことがくりかえされる。八重の「肉眼」のなかでくりかえされる。リーフは蛇。脱皮し、脱肉し(これは、肉を自ら脱ぐというより、剥ぎ取られ、かもしれない)、脱魂し(これも、魂を自ら捨て去りというより、激しく奪い取られ、かもしれない)、白骨化し(これもまた白骨化させられたのかもしれない)、そこに存在している。そのリーフを見るとき、八重には、脱皮の実際が見える、脱肉の実際が見える、脱魂の実際が見え、白骨の実体が見える。
 そのとき見えるもの、それはほんとうは語っても語っても語り尽くせないものかもしれない。その語り尽くせないものが、膨大なことばではなく、「脱皮」「脱肉」「脱魂」「白骨」という短いことばに結晶している。
 「脱肉」「脱魂」ということばはない。(ない、と思う。)
 それは、ことばにはならない。「流通言語」にはならない。ことばがあふれすぎて、そのことばの重さのために、ゆがんでしまったブラックホールのようでもある。
 「脱肉」「脱魂」ということばのなかへは、八重が見たもの、聞いたもののすべてが吸い込まれていく。そこからは何も出てこない。そして、何も出てこないのだけれど、その吸い込まれていくすべてのものを「肉眼」で見て、「肉耳」で聞いたことがある八重には、その「ブラックホール」にすべてが見え、すべてが聞こえる。
 「ブラックホール」と最終的な死である。けれど、それは死の瞬間、ビッグバンを起こす。始まりの一瞬でもある。
 ここにあるのは、究極の矛盾であり、究極の矛盾であるから、究極の真理でもある。こういう矛盾を、だれも正確には描写できない。わかっている。わかっているけれど、なんとか書きたい--そして、矛盾のまま書いてしまう。

 「幾重」「くりかえし」--そういうしかないことばのなかに、八重の「思想」「肉体」がある。何かが「消え」てしまっても、「くりかえす」という行為は消えない。残る。残さなければいけない。

 「樹霊(こだま)」も強いことばが動き回っている。

夜 深い闇の中をサァーサァーと音をたて 地の深くから
生きている思考が高く大幹(おおみき)をたどって枝々の先
何万枚の葉の先々までしみわたっていく

朝 重なる葉っぱは一枚一枚鏡となってめざめ 枝々に
何万という緑色の《眼》をゆらめかせ朝毎(あさごと)のざわめく
不安と意志と祈り

 「くりかえし」は「朝毎」の「毎」のなかにある。そして、その「くりかえし」があって、はじめて「何万枚」「何万」ということばがうまれて来る。「何万」という数を超越した数--それは「ブラックホール」である。数えられないことによって、「ひとつ」になってしまう何か--「ひとつ」であるけれど、その「ひとつ」は無数から成り立っているという意識。
 そこにのみ、「真理」はある。「くりかえ」される「無数」、「くりかえ」すことで凝縮して、「ひとつ」になる、「真理」という「ひとつ」になる。

 「月」も美しい。

金属の削りくずのような
繊い月
晨(あさ) おとついは左側斜めしたに彎っていたのに
昏(くれ) 今日は
右側
こんなにかすかなところまできっちりと 天体が
うごいているとは!

 「くりかえし」は、この作品では「晨昏」ということばのなかにある。それは毎日毎日やってくる。くりかえされる。そして、そのくりかえしが、天体を磨き上げる。くりかえされることによって、その月の細さ、その月の動きがはっきりと人間にわかるようになる。天体(真理)はくりかえされるから「こんなにかすかなところまではっきりと」人間に理解できるようになる。

 八重は、くりかえしだけが、何かをはっきりとらえることができると知っているのだ。くりかえされるもののなかにだけ「真理」があるということ知っているのだ。




しらはえ
八重 洋一郎
以文社

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