ジム・シェリダン監督「マイ・ブラザー」(★★★) | 詩はどこにあるか

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監督 ジム・シェリダン 出演 トビー・マグワイア、ジェイク・ギレンホール、ナタリー・ポートマン、サム・シェパード

 ナタリー・ポートマンは、私の大好きな女優のひとりだが、この映画の役をやるには美人すぎる。いや、透明すぎる。もっと、不透明でないと現実感が消えてしまう。ストーリーというか、脚本といえばいいのか、そこに描かれている「悲劇」はとても明瞭である。戦争から帰ってきた夫が尋常ではなくなっている。それをどうやって受け止めるか。こんな深刻な役を、透明なまま、悲痛に演じてしまうと、見ていて切なくなる。
 こういう描き方が「アメリカ映画」なのだと思うが、ちょっとつらい。
 ナタリー・ポートマンのように透明に、感情の奥の奥までみせてしまうのではなく、それを隠す「肉体」をみせてほしい。それがどんなに悲痛であっても、その感情がどんなに苦しいものであっても、そこに「肉体」がある。「肉体」があるから生きていられる--そういう安心感がないと、とてもつらい。
 「顔」で演技しすぎるのかもしれない。「肉体」で演技している部分が少ないのかもしれない。
 ちょっといい相手役がみつからないけれど、兄弟の役も別のひとがやるとして、キム・ベイシンガー(すでに年をとりすぎているが)のような「肉体」を感じさせる女優だと、この映画はもっとおもしろくなると思う。
 一方に苦悩する「肉体」があり、その奥に苦悩する「感情」がある。「こころ」がある。それは「表」で出たがっていると同時に、「奥」に隠れてもいたがっているものなのだ。その矛盾を、そのまま体現するような「肉体」がスクリーンにあれば、と思うのである。
 トビー・マグワイアもある意味で透明すぎる。その激変する表情はそれだけで劇的だが、ほんとうに怖いのは、そんなふうに簡単に表情にならずに、「肉体」の微妙な動きそのものになってあらわれてくる方が怖いと思う。違うのだけれど、その違いが、どこが違うとわからない感じで違う--そういう恐怖の深みが、この映画にはない。
 苦悩も悲しみも喜びも、全部、前にですぎている。わかりやすい。とても、わかりやすい。だから、ちょっと困る。



 と、ここまで書いたら、あるところから、この映画は「ある愛の風景」のリメイクだという声が聞こえてきた。
 あ、だからなんだなあ。
 私がナタリー・ポートマンに、トビー・マグワイアに感じた不満というのは、「ある愛の風景」の役者たちの「肉体」の不透明さとかけ離れていたということなんだろうなあ。




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