フレッド・カヴァイエ監督「すべては彼女のために」(★★) | 詩はどこにあるか

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監督 フレッド・カヴァイエ 出演 ダイアン・クルーガー、ヴァンサン・ランドン、ランスロ・ロッシュ

 これはもうフランス人気質を見るための映画と割り切って見た方がいい。アメリカ映画では絶対にこうならないし、イギリス映画でもこうならない。フランス人だからこそ、こんなふうに考え、行動する。(たぶん。)
 わがままです。真実など、どうでもいい。大切なのは、自分の気持ちだけ。
 主人公の父親に目を向けると、とてもよくわかる。彼は息子と仲が悪い。喧嘩をしていて、口もきかない。でも、息子が好きという気持ちはある。だから最後の最後に息子の手助けをするのだけれど、これって完全な自己満足。息子を守った--それを息子は知らないけれど、(知られたくもないが)自分のほこりである。
 まあ、いいかげんなもんですねえ。
 これがまた、主人公の逃走劇を助けるのだから、あきれかえってしまうねえ。最後の方の、国際警察から手配のFAXが各空港に送信されてくる。それを受信した係員は上司に叱られるのを回避するだけの行動をとる。何をすべきか、なんて考えない。FAXの内容を点検していたら、自分の担当窓口に行列ができてしまう。緊急手配のFAXの点検よりも、目の前の仕事を片づけ、上司の苦情を避ける。
 こんなことで逃走劇が完遂されたからって、いったいどうなるんだろう。
 映画を見終わったあとの快感なんてありません。

 フランス人気質は、もうひとつ、主人公が自分の問題を解決する手段をみつけだすために、壁にやたらと資料をはりまくる。ごちゃごちゃになればなるほど、頭のなかが整理されてくる。こういうことは、きっとフランス人だけ。そして、ねえ。そのごちゃごちゃのなかに、実際逃走劇の重要な要素が隠されているのだけれど--最後の目的地の写真がちゃんとはってあるのだけれど、警官は、そのごちゃごちゃを整理し直して主人公を追跡するなんてことはしない。だって、他人のごちゃごちゃを追いかけるなんて、面倒くさい。--この、自分のごちゃごちゃはあくまでごちゃごちゃを受け入れるが、他人のごちゃごちゃなんて、どうだっていい、というのがフランス人。

 これを読んだフランス人がいたら怒るかもしれないけれど、そんなふうにしか見えない。
 でもって、さらに追加していえば、こんな変な主人公を「かっこいい」ようにしてしまうのが、またフランス人。きっと権力と闘って自由を手に入れた英雄--ということになるんだろうなあ。
 
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