「第三の神話」は長い詩である。こういう長い詩は、私は適当にページを跳びながら読む。行を飛ばして、あっちへ行ったり、こっちへ来たり。
次の部分が、とても好きだ。
さわらのさしみとなすで神々の饗宴となった
深い深い夢はわれわれをみる
われわれは夢をみない
化学はもう物理として説明する方がよい
ポエトリとは何事ぞ
早く物理をやるべきだ
「さわらのさしみとなす」。この音の動きはとても美しい。「さ行」は、ほんとうは「さ行+し行」だと思うけれ。「さ」わら「さ」しみの頭韻とのあと、さ「し」み、な「す」とつづくと、その響きがとても美しくなる。「し」が「す」に支えられて、「さ行」から飛び出して、というか、ちょっと離れた場所できらきら輝いているように感じる。その印象が、「さ行+し行」という印象に重なる。
「深い深い夢はわれわれをみる/われわれは夢をみない」の対になっている行は、私をちょっと立ち止まらせる。深い深い夢はわれわれを「夢」みる--ではない、ということが、私を立ち止まらせる。夢は直接、われわれを見る。夢自身の「肉眼」でわれわれを見る。
あ、そうか、夢にも「肉眼」があるのか、と、はっと驚く。
「われわれ」のことは知らないが、私は「肉眼」ではな夢を見ない。夢を見るとき、私は眼を閉じているからね。
でも、夢がわれわれをみるとき、夢は「肉眼」を閉じないのだ。夢はわれわれを夢見たりしないのだ。
そして、その夢って何? われわれが見た夢?
何かわからなくなるね。わからなくなるけれど、不思議なことに、何かを納得してしまう。
そしてすぐに、
化学はもう物理として説明する方がよい
これは、そうだねえ。そのとおりだねえ。化学反応式なんて、物理だもんねえ。
納得しながら、「さわらのさしみ」から「物理」まで、このスピードがものすごい。何に納得したのかわからないような、ことばのスピードだ。「意味」ではなく、たぶん、スピードに納得させられているんだなあ、と感じる。
「ポエトリ」が出てくるのは、まあ、西脇が詩人だからなんだろうなあ。
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