大亀の上にのつかつている石碑の
碑文を旅の学者が大きな笠を
かぶつて驢馬にのつて
あごで判読しているのを
白い服を着た少年が聴いて
いるのもよく見える
最後のツクツクボーシも鳴いている
ことがよくわかるような気がした
四十雀が松の中にとんでいるのも
こんな風景を女の家の朱色に塗つた
二階の窓から鳥を見る望遠鏡でみた
「みた」。「見た」こと、視界が描かれているのだが、その「音」のない世界で、西脇は「音」を聴いている。
「最後のツクツクボーシも鳴いている/ことがわかるような気がした」の「こと」がとても不思議だ。
西脇にとって「音」とは「こと」なのだ。「素材」というより、そのなかで何かが動いていて、その動きが「こと」なのだ。ツクツクボーシが鳴いている。その鳴き声ではなく、鳴いている「こと」。なぜ、鳴いているのか。その「理由」のようなものが、「こと」。
この「こと」は、見ることができない。見えない。どんな望遠鏡でも、「こと」は見えない。
「こと」を引き受けるのは「気」である。「気がした」の「気」。
それは、こころ、ということかもしれない。
「音」は「こころ」と触れ合うのだ。こころ、の接触。そのとき、どこかで「音楽」が鳴るのだ。それを西脇はすばやくつかまえる。
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