ジョエル・ホプキンス監督「新しい人生のはじめかた」(★★) | 詩はどこにあるか

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監督 ジョエル・ホプキンス 出演 ダスティン・ホフマン、エマ・トンプソン

 退屈な映画である。何がいけないのか。配役がマズイ。ミスキャストである。
 ダスティン・ホフマン。彼はジャズピアニストをこころざしたこともある男である。ジャズピアニストになれず、コマーシャルソングを作曲している。--あ、でもねえ、ダスティン・ホフマンはミュージシャンには見えません。「音楽」特有の「軽さ」がない。ノリのよさがない。ピアノを弾いてみせるシーンがある。1曲目は、まあ、自分で弾いているんだろうなあ。勉強家というか、努力家なのはわかるけれど、指がうつっていないピアノ越しのシーンなんか、とても重たい。暗い。ミュージシャンなら、もっとノーテンキでないと……(と、書くと、私の偏見?)。
 まあ、落ちぶれたというか、人から相手にされないという感じはよくでているんだけれど。
 でも、それって、人を引きつける要素じゃないよなあ。
 エマ・トンプソンはなぜダスティン・ホフマンに惹かれ、恋する? その理由が、私にはまったくわからない。同情から恋がはじまっていけないわけではないけれど、ちょっとなあ。
 一方のエマ・トンプソン。あ、あ、あ、あ。引き込まれていきますねえ。うまい。ともかく演技がうまい。ブラインドデートのいよいよ佳境という時に、男の方の友達がやってきて、男と男の周囲はもあがる。エマ・トンプソンだけが浮いてしまって、ぽつんとしている。まるで「事実」みたい。
 ダスティン・ホフマンとのやりとりでも、ダスティン・ホフマンがエマ・トンプソンに惹かれる理由はわかる。イギリス人特有のとりすました感じがなく、アメリカ人のようにオープンである。しかも、皮肉屋というか、相手に譲らない頑固なイギリス人の要素もしっかり具現化している。ダスティン・ホフマンがそれまでアメリカで出会った女とは違う雰囲気がある。それに惹かれていく。それに、ダスティン・ホフマンから見れば、十分に若い。
 うーん。
 なぜ、エマ・トンプソンが年もずいぶん離れたダスティン・ホフマンに惹かれていくのか。さっぱりわからないねえ。
 だから、チラシにもっている(ポスターもそうかな)シーン、エマ・トンプソンが身長差をごまかすために膝をまげて、身を乗り出すようにして、ダスティン・ホフマンに軽いキスをするシーン--のような、不自然なシーンが気になる。「映画映え(?)」を気にして、ダスティン・ホフマンとエマ・トンプソンの身長差をごまかすようなことをして、どうするんだあああ。ほんとうに男に惹かれたんだったら、身長差なんか、関係ないだろう。そのほかのシーンでも、わざと猫背をさせるなど、むりな演技をさせるなら、キャスティングをかえたらいいのに……。
 最後の、エマ・トンプソンがハイヒールを脱いで、裸足になって、猫背をやめて、しゃんと背筋を伸ばして歩く二人のシーンが、泣かせます。はい。エマ・トンプソンが、かわいそう。 



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