劇団四季「コーラスライン」 | 詩はどこにあるか

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劇団四季「コーラスライン」(福岡・劇団四季劇場、2010年02月07日)

 「コーラスライン」の千秋楽である。そして、福岡における劇団四季の「千秋楽」でもあるはずだった。浅利慶太は、福岡での上演は赤字つづきでやっていけない。「コーラスライン」を最後に福岡から撤退する、と発表したばかりであった。
 ところが、その「千秋楽」の開演前に、浅利慶太が42年ぶり(と、たしか言っていた)に舞台に立ち、観客に向かって語りはじめた。
 「福岡から、コーラスラインを最後に撤退する予定だった。だが、その計画を発表したとたん、多くのファンから抗議のメールが殺到した。その量があまりに多いので、しばらく形をかえてつづけることにした。9月まで、とぎれとぎれに公演をつづける。夏休みには、子ども向けの作品も上演する。そのラインアップは……。」
 浅利慶太によれば、そもそも福岡の劇場は、舞台の東京一極集中を批判する(?)形ではじめたものである。その灯を消してはいけない、ということらしい。
 浅利慶太は、また、四季では入場料を値下げした。その結果、切符代金そのものの収益は年間18億円減ったが、入場客が増えたので実質減収は8億円だった、とも語った。どうか、まだ一度も舞台を見ていないひとに、ぜひ、見に来るよう呼びかけてほしい、とも語った。
 約10分間の挨拶だったが、これがこの日の一番の「出し物」であった。商売上手なひとだなあ、と感心した。



 ミュージカルそのものは、はっきり言って退屈である。オーディションに合格するために、整形手術を受けたと過去を語る役の女性の歌が聞きやすかったが、あとは、私の耳にはかなりつらく響いた。「コーラスライン」のオーディションという話だからといって、そこに登場する役者たちが、ほんとうにコーラスラインのオーディションを受けるレベルの歌、踊りでは、見ている方がつらくなる。
 え、こんなにうまいのに、オーディションに受からないの? という疑問がわくくらいでないと、芝居にならない。
 私は四季のミュージカルはそんなに見ていないので誤解しているかもしれないのだが、この「コーラスライン」のどの部分が、四季の(浅利慶太の)演出なのだろうか。そのままブロードウェイの舞台をなぞっているだけなのではないのか。新しいダンスの振り付けや、役に対する新しい解釈が施されているのだろうか。よくわからない。ブロードウェイまでいけない人のために、ブロードウェイで見てきたものを再現して提供します--が演出だとしたら、とてもさびしい。
 
 それにしても。
 役者の声をなんとかしてもらいたい。ミュージカルであろうと、普通の芝居だろうと、舞台の基本は「声」だろう。声でぐいっとひっぱる役者がほしい。もうしわけないが、私は何度も何度も居眠りしてしまった。声が聞きづらくて、何を感じているのか、それがつたわってこないからである。



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