大西若人「蛾は何を意味するのか」 | 詩はどこにあるか

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大西若人「蛾は何を意味するのか」(「朝日新聞」2009年11月11日夕刊)

 文章には、文章を読まなくても誰が書いたかわかるものがある。ちらりと見ただけで、文字の並び加減(漢字とひらがなのバランス)、句読点のつくりだすリズムが、ふっと独特の文体を感じさせるものがある。大西若人は、そういう文体をもったひとりである。
 「蛾は何を意味するのか」は、速水御船の「炎舞」について書いた短い文章である。
 私は、夕刊を開いて、その瞬間、これは大西若人の文章であると感じた。私は、いま、目の状態がよくないので、仕事以外にはなるべく文字を読まないようにしているのだが、ページを開いた瞬間に、これは大西の文章だと感じ、思わず、読み進んでしまった。そして、実際にそうであった。
 読み進むと、大西独特の文書が出てくる。

 炎から、朱が闇に溶けるように広がり、渦巻き上ってゆく。そんな空気の動きまで、描き切る。

 「空気」というのは見えない存在である。その見えないものを、ことばは、あたかも見えるように書き記すことができる。この、見えないものを、ことばで見えるようにしてしまうのが大西の文章である。そして、どこがどうこうとは具体的に言えるほど私は大西の文章を分析していないが、そのことばの選択(漢字、ひらがなの選択)、句読点のつかい方が紙面に与える印象が、その、見えないものを見えるようにしてしまう精神の動きとぴったりあっている。
 名文家である。
 新聞記者というのは、「署名」は「新聞社名」であってこそ、新聞記者なのだと思うが、大西はそういう範疇を超越している。大西は大西が書いた文章すべてに「大西若人」という署名を記入したいのだと思う。
 こういう記事は、「新聞記事」と思って読んではならない。新聞社に属しているのではなく、あくまで「大西若人」という著述家に属した文章なのである。