『旅人かへらず』のつづき。
一五七
旅に出る時は
何かしらふところに入れる
読むためではない
まじなひに魔除けに
ある人は昔
「女の一生」を上州へ
ある国の革命家は
「失はれた楽園」を
野の仕事へ
ここに書かれているのは、異質な取り合わせの「詩」。異質なものが出会う時、詩が生まれる。--それはそうなのだが。
私は2行目が気に入っている。「何かしらふところに入れる」。この、「ら行」のひびきが滑らかである。そして、そのなめらかなひびきが「読むためではない」という異質な音と断定によって破られるのも、不思議と気持ちがいい。
あ、音ばかりを楽しんでいては、詩にはならないのだね。反省。
しかし、次の「まじなひに魔除けに」がまた、おかしい。「まじなひ」「魔除け」と、なぜ同じようなことを2度言うのか。たぶん、「ま」をくりかえすため。「に」をくりかえすため。こういう音楽があるから、それ以降に出てくる本と、それを持っていく人の対比が新鮮になる。そこでは「ら行」のようなくりかえし、「ま」「に」のようなくりかえしがない。一回きりの音と異質なものの出会いがある。
途中を省略して、詩の後半。
旅に出る時
恋に落ちないやうに
飢餓に落ちないやうに
ダンテの「地獄篇」の中に
えのころ草をはさんで
食物は山の中に沢山ある
「恋に落ちないやうに/飢餓に落ちないやうに」。「恋」と「飢餓」の対比がおもしろいが、その対比が生きるのは「落ちないやうに」がくりかえされるからだろう。
最後の行は私は「しょくもつは」と読んでいる。「食物は」とは読まない。「しょくもつ」の方が「たくさん」という音と響きあう。「山」と「沢山」と、そこでは視覚上「山」がくりかえされているのだが、「山」でありながら「やま」と「さん」のずれ。それは「しょくもつ」の「し」、「たくさん」の「さ」のずれの感じとも響きあう。「たべもの」と読むと「たくさん」と頭韻になってしまって、ずれがなくなる。「やま」と「さん」のずれが埋没してしまう。それでは、なんとなく、私にはおもしろくない。
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