谷川俊太郎「アタマとココロ」 | 詩はどこにあるか

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谷川俊太郎「アタマとココロ」(朝日新聞2009年8月01日夕刊)

 谷川俊太郎「アタマとココロ」は、誰もが感じたことのある頭とこころの問題を描いている。(「8月の詩」というコーナー)

「怒りだろ?」とアタマに訊(き)かれて
「それだけじゃない」とココロは答える
「口惜しさなのか?」と問われたら
「それもある」と歯切れが悪い
「憎んでるんだ」と突っこまれると
「うーん」とココロは絶句する

アタマはコトバを繰り出すけれど
割り切るコトバにココロは不満
コトバで言えない気持ちに充電されて
突然ココロのヒューズが切れる!

殴る拳と蹴飛(けと)ばす足に
アタマは頭を抱えてるだけ

 誰もが感じるけれど、誰も解決方法を知らない。だいたい、アタマとココロと、どこが違う? そのことも人間は知らない。
 頭は一応(?)脳にあることになっている(なっていない?)けれど、ココロのありかは分からない。ココロは心臓にある? 心臓がドキドキするから、そんなふうに考えることもできるかもしれないけれど・・・。
 アタマは理性、ココロは感情?
 谷川は、そういう区別をしているようで、していない。
 アタマとココロが対話している。両方とも、ことばを使っている。ことばを使うのは、アタマだけではない――この区別のなさが、この詩を面白くしている。
 そして、もうひとつ。
 人間には「肉体」がある。アタマもココロも「肉体」の中にあるはず(?)。それを動かしているのはアタマ? ココロ? もし、ココロが肉体を動かすとしたら、何を使って? ココロも「神経」につながっている?
 わからないことだらけ。
 わからないのに、

コトバで言えない気持ちに充電されて
突然ココロのヒューズが切れる!

殴る拳と蹴飛(けと)ばす足に
アタマは頭を抱えてるだけ

 といわれると、納得してしまうなあ。

 そうして、また思う。(アタマで? ココロで?)
 ココロがこころ(心臓?)を抱え込むって、どういうときだろう。怒りではなく、恋愛したとき? アタマはあれこれな策略(?)を考える。でも、うまくいかなくて・・・。そのとき悩むのはアタマ? ココロ? うーん。
 谷川さん、教えて。
 9月の詩で、回答を書いてくださいね。


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谷川俊太郎
東京糸井重里事務所

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