誰も書かなかった西脇順三郎(45) | 詩はどこにあるか

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 『旅人かへらず』のつづき。

七四
秋の日も昔のこと
むさし野の或る村の街道を歩いてゐた
夕立が来て或る農家の戸口に
雨の宿りをした時に
家の生け垣に
かのこといふ菓子に似た赤い実
がなつてゐた
「我れ発見せり」と思つた
それは先祖の本によく出てくる
真葛(さねかづら)とか美男葛といふもの
その家の女にたのんで折り取つた
女は笑ふ「そんなつまらないもの」
をと だが
心は遠くまた近い

 「つまらないもの」は「淋しいもの」である。
 「つまらない」は別のことばで言えば、他のものと何かを共有していない、孤立しているということである。孤立しながら、「いのち」をつないでいる。その「いのち」は「永遠」とつながっている。「永遠」とつながっている「つまらないもの」が「淋しい」であり、「美」なのだ。
 この詩は、また、女の存在によっておもしろくなっている。きっと農家の男だったら「そんなつまらないもの」とは言わない。きっと西脇に配慮して、もっと違う言い方をする。「こういうものがめずらしいのですか」とか「こういうものが好きなのですか」とか。女は他人に配慮せずに、自分の思いをそのままことばにする。そのことが、また「淋しい」なのである。他のひとの「思い」とつながろうとは、強いて望みはしない。

 最終行の、

心は遠くまた近い

 の「遠い」「近い」の区別のない状態。それもまた「つまらない」「淋しい」と同じものである。遠近の区別がないというのは、ようするに他とつながっていないからである。孤立している。孤として存在する。それは他のものとはつながらず「永遠」と、つまり「いのち」とだけつながっている。



西脇順三郎詩集 (1965年) (新潮文庫)
西脇 順三郎
新潮社

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