『旅人かへらず』のつづき。
五一
青銅がほしい
海原の滴りに濡れ光る
ネプチュンの五寸の青銅が
水平に腕をひろげ
少しまたをひらいて立つ
何ものか投げんとする
2行目の「ら行」の揺らぎが楽しい。3行目の「ネプチュン」と「五寸」の出会いもおもしろい。そして、5行目の「少しまたをひらいて立つ」という具体的な描写がおもしろいが、この1行も不思議に音が響きあう。「を」の音を軸にして、音が回転する印象がある。音の中に動きがあるので、次の「何ものか投げんとする」がほんとうにものを投げるような、投げられたものがこれから見える--という印象を呼び覚ます。
五二
炎天に花咲く
さるすべり
裸の幹
まがり傾く心
紅の髪差(かみざし)
行く路の
くらがりに迷ふ
旅の笠の中
この詩の中にも西脇の濁音嗜好が読みとれる。また「まがり」と「くらがり」の、音の響きあいと、イメージもおもしろい。
「まがる」。直線ではないこと。「くらがり」。明るくはないこと。どちらも否定的なニュアンスがある。それは、濁音と清音の関係にも似ている。
西脇は、「まがる」「くらがり」「濁音」に一種の共通のものを感じている。それは、直線、明るい、清音というものがもたない「充実感」である。「豊かさ」である。
濁音が口蓋に響くときの、不思議な充実感が、私はとても好きである。そういう性向が私にあるから、西脇の濁音に目がとまるのかもしれないが……。
名訳詩集 (1967年) (青春の詩集〈外国篇 11〉) 白凰社 このアイテムの詳細を見る |