きのうの「日記」に書いた最後の部分。「地下下(じげげ)」の、
拂底(ぼって)の山から
拂底(ぼって)の谷から
山の高さと谷の深さを払う
その下ったところで
人は生き抜いてきた
古代の底
血が、肉が、骨が
眠っている
と、
わたしのからだ
血も、肉も、骨も
地下とは繋がらない
この矛盾は、あるいは「違い」と言った方がいいのかもしれていけれど、どこに原因(?)があるのか。
「地下とは繋がらない」の「地下」は、前の引用の「古代の底」、つまり「古代の地層の下」と呼応すると同時に、別のものとも呼応している。
同時「地下」は「地面の下」という意味だけではないのである。
「地下は/地元というだけのこと」。一方、「地下下」は、「源氏一統の/屋敷跡として伝えられる/地下下に星田氏という武士がいた」。「地下」は地元、他方「地下下」は武士の屋敷のあと。「わたし」と「星田」の違いがある。
地下下に
屋敷跡はみられない
ただ車の行きかう道路に
わたしは突っ立っている
いつぶち当たるか
つぶされるか わからない
わたしのからだ
血も、肉も、骨も
地下とは繋がらない
掴む土さえ見つからず
お前は
ジゲの者か と 問われる
余所者を感じる
地下下と
関わることのできない
地下者になっている
「わたし」は「古代」とつながることのできない人間に「なっている」。ここを出発点として、金堀は「古代」と繋がろうとする詩人になろうとする。それは単に「時間」として「古い時代」という意味ではない。「地下下」に「星田氏」がいたように、「古代の底」には、そこに暮らす複数の人間がいる。金堀は、そういう「人々」と繋がろうとする。
「思想」とは基本的に「個人」(わたし)のものだが、金堀はそういう「思想」を目指していない。「わたし」の思想を目指していない。いうなれば「わたしたち」の思想を目指している。
「地下下」で指摘した矛盾(対立)、「古代の底/血が、肉が、骨が/眠っている」と「わたしのからだ/血も、肉も、骨も/地下とは繋がらない」は、ある意味では当然のことなのだ。前者は「わたしたち」であり、後者は「わたし」である。「わたしたち」と「わたし」は同一ではない。「わたしたち」から離れてしまえば「わたし」は孤立した存在であり、孤立した存在としての人間は、抽象でしかない。何とも繋がりようがない。「わたし」は人との繋がりの中で「わたしたち」になる。そして、そのとき生きていく「場」が具体的な「土地」そのものとなる。
これは、逆に見ていけば、「土地」を手がかりに、「わたしたち」でありえた何者かに出会えるということである。金堀が取り組んでいるのは、そういうことなのだ。「土地」に残されている「名前」、「名前」にこめられている「祈り」を探り当て、それをことばにする--そうすることで金堀は「わたし」から「わたしたち」に「なる」。そのとき、「土地」は、そして「土地の名前」は、「わたし」と「わたしたち」をつなぐ「契り」である。その「契り」を、ことばとして確立するとき、「契り」のなかにこめられた「祈り」が金堀のなかで生き生きと動き、「天」と「地」をつなぐ「詩人」が誕生するのだ。
金堀は「天」と「地」のあいだで、「契り」として、「祈り」として--そういうものをつかみ取る詩人として、いま生まれ変わろうとことばを探し求めている。
それは「わたし」として生きるということではなく、「土地」とともに生きている「わたしたち」として生まれ変わることでもある。
石の宴―金堀則夫詩集 (1979年) 金堀 則夫 交野詩話会 このアイテムの詳細を見る |