誰も書かなかった西脇順三郎(2) | 詩はどこにあるか

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カプリの牧人

春の朝でも
我がシシリヤのパイプは秋の音がする。
幾千年の思ひをたどり

 ここには「音」ということばがはっきりつかわれている。西脇順三郎は「音」の詩人、音楽の詩人だと私は思う。
 「春」と「秋」の出会いに、はっとするが、そしてはっとしたとこで忘れてしまいそうだが、「パイプの音」って、何?
 パイプは音を聞くためのものではない。たばこを吸うためのもの。私はたばこを吸わない(吸ったことがない)のではっきりしたことは書けないが、たばこは香りを愉しむためのものだろう。嗅覚のためのものだろう。
 それなのに、西脇は「秋の音」と書いている。耳でパイプを愉しんでいる。

 人間の感覚は、肉体の中でいりまじる。融合する。そして、そのとき何が出てくる。「秋の色」(視覚)、「秋の手触り」(触覚)、「秋の味」(味覚)ではなく、「秋の音」(聴覚)。意識的か、無意識か、わからない。けれど、ここに「音」が出てきたことが、私にはとても楽しい。



Ambarvalia (愛蔵版詩集シリーズ)
西脇 順三郎
日本図書センター

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