『田村隆一全詩集』を読む(101 ) | 詩はどこにあるか

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 「讃歌」は「やっと/あなたに会えた」ではじまり、「やっと/あなたに会えた」でおわる詩である。「あなた」とはだれか。私は「詩」と読みとった。

断片のなかに
破片のなかに
全体像がふくまれていなかったら

断片は断片にすぎない
破片は破片にすぎない

 このとき「全体像」とは、想像力が描き出す「姿」である。「断片」「破片」を「ことば」と置き換えてみると、とてもおもしろい。
 「ことば」はそれ自体として、「全体像」をふくんでいる。
 そして、その「全体像」とは「矛盾」が引き起こす運動のことである。

窓だけあって部屋がない
部屋だけあって窓がない

ぼくが経験した世界の狂ったデザインのなかから
生れた
灰とエロスの有機物

 「狂ったデザイン」。それは、田村の「ことば」があえて「狂わせた」デザインである。田村の「ことば」は世界を「矛盾」のなかで描き出す。そして、「矛盾」をぶつけあい、叩き壊す。その叩き壊された断片、破片は、元の形の「全体像」をふくんでいるのではない。これから生まれる新しい全体像をふくんでいる。
 だからこそ、「有機物」である。

 詩は、叩き壊されたことばが、新しく再生していくとき、その変化のなかに輝く。



ぼくの遊覧船 (1975年)
田村 隆一
文芸春秋

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