全美恵「デオドラント効果」には「鼻」ということばがたくさんでてくる。
鼻を明かしてやる
鼻高々なやつらだから
鼻で笑ってたこと わすれない
鼻にかけるところ だいきらい
考えただけでも 鼻息が荒くなってしまう
「決まり文句」をならべ、それをならべているうちに「物語」ができてくる。その「物語」がときどき「決まり文句」から逸脱する。そのとき「意識」ではなく「肉体」がことばにまじってくる。それがおもしろい。
鼻汁(はな)たれ小僧たれてない時は 鼻水が乾いて その
そのハナクソをほじくってたの
まるくまるくおおきく丸めて
遠くに飛ばす競争してた・・・
私に当てるレンシュー?
ちがう・・・まさか
このあと作品は「奴らのボスは団子っ鼻」という具合にまた「決まり文句」にもどるのだが、逸脱と「決まり文句」が並列にあるから、この詩は愉しい。
「鼻につく」から「臭う」へと進んで、さらに、
目を閉じれば、見えなかったものが
いっぺんに見えてくるらしいわ
目を開けていると判らない
そんなものが
鼻先から入ってくるって
鼻ですべてを把握できるって
確かにそういっていたもの
ふいに、ことばが「哲学」に触れてしまう。この瞬間がいい。「鼻」。匂いを嗅ぐとは、「空気」を「肉体」の内部に取り入れること。「肉体」の内部で、あらゆる「情報」は、あらゆる「感覚器官」によって教諭され、ひとつの感覚ではとらえきれなかったものがみえてくる。
それは「真実」がわかるということ。「見える」ということ。
でも、見えすぎてしまったら、どうする?
鼻に障害がある私には
鼻の利かないものには判らない
だから、見えるもの聞こえるものしか信じない
いままでも、これからも、ずっと
臭うものにはふたをして
鼻をつまんで生きていくわ
全は笑い飛ばしてしまう。鼻が利かないはずなのに「鼻をつまんで生きていくわ」という決まり文句で逆襲する(矛盾を前面に押し出す)ブラックユーモア。
「肉体」をもっている人間の健全さに満ちている。