『田村隆一全詩集』を読む(59) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。


 詩は、いつでも「矛盾」の形でしか書けない。そして矛盾のなかにこそ、詩がある。
 「大火災」の「矛盾」は「時制」が逆転することろに現われている。

明日 ぼくは枯れ葉のベッドで産れる
今日 ぼくは地下鉄のなかで恋をする
昨日 ぼくは罪の意識もなくあっけなく死ぬ

もう一度、田村は繰り返す。

<明日>は過去形
<昨日>は未来形
<今日>はいつまでたっても現在形

 このことを、田村は、さらに言い換える。

いつまでたっても現在形
というのは
じつに不愉快である
<昨日>の新聞はすこしも面白くないが
三十年前の新聞なら読物になる
世界はいつも危機の情報にあふれていて
危機がなくなれば世界は消滅するだろう
何人かの皇帝と独裁者が亡命し
共和国ができたかと思うとたちまち内戦になり
飢えと肥満が競合しあって
かろうじて地球の生態系をたもっている
五千年まえとまったくおなじ生活様式を生きている遊牧民もあれば
一円の為替差損で自殺する優雅な人間もいる
つまり
この世に<明日>はないということだ
過去形でしか<明日>は表現できない
人間の言語構造そのものが倒立しているのだから
<あの世>から<この世>を見なければならない

 これは簡単に図式化(?)していえば、<明日>起きるだろうことは、すでに<昨日>つまり、過去に起きていることばかりである、ということになる。厳密にいえば過去と同じことが起きるわけではないが、同じ運動が繰り返されているということである。過去に起きなかったことなど、未来に起きるはずがないのである。私たちの「時間」は、それほどたくさんの「過去」をもっている。起きなかったことなど、もうすでにない。それは語られなかったことなど、もうない、ということに等しい。
 <明日>へ進むことは<昨日>をもう一度生きることなのである。
 「温故知新」ということばがあるが、ここに書かれていること自体、「温故知新」ということばが語っているように、すでに書かれてしまっている。そっくりではないが、類似のことが書かれている。「未来」へ進むためには「過去」をていねいに掘り進まなければならない--というのは、すでに語られていることである。
 それでも、そうするしかない。

 こんなことは、どう書いてみても、はじまらない。田村のことばの特徴をみつめることにはならない。

 田村は、他のひとたちと、どこが違うのか。同じこと(類似したこと)を書きながら、どこが違うのか。

<今日>はいつまでたっても現在形

 この行のなかにある「いつまでたっても」が田村のことばを動かしている。「過去」は掘り進めば「未来」になる。「未来」はそこに突入してしまえば、たちまち「過去」になる。過去も未来も、そんなふうにして変化する。しかし、<現在>だけは、かわらない。いつまでたっても「現在」という時制を生きている。
 だが、ほんとうか。
 「未来」という時間など、ほんとうはない。「現在」が「過去」になりつづける。その運動の結果、まぼろしのように、私たちは「未来」を思い描くだけであって、だれも「未来」を体験したものはいない。「現在」しか体験できず、体験した「いま」が「過去」にななりつづけるだけである。
 <明日><今日><昨日>というもの、未来・現在・過去という時制は、私たちの意識がつくりだした「方便」のようなもの、「肉体」がかかえこむ錯乱である。

いつまでたっても現在形
というのは
じつに不愉快である

 と田村は書いているが、この「不愉快」が田村の「思想」である。「いつまでも・不愉快」。それをなんとかしたい。だから、「過去」へではなく、「いま」を耕すのである。わかったように、「温故知新」とはいわない。(方便として、私は、田村は、そういうことを書いていると説明してしまったが……)。
 「温故知新」のような、語り尽くされた「哲学」は放り出して、田村は「いま」をただ耕す。次のように。

そこで
ぼくは 散歩に出る
秋の午後二時というとひとはいない

 そして、酒屋を見つけ、ビールを飲む。ビールを飲みながら、あちこちで飲んだアルコールのことを思い出す。語り尽くされた哲学を捨てるために、ただビールを飲み、過去の記憶を次々に捨てるようにして、ことばをまき散らす。どこまで捨てても、ことばは、しかし次々にあふれてくる。捨てきれない。
 その矛盾。その不愉快。

 もし、詩が、そして思想があるとすれば、その「肉体」の「不愉快」である。田村は「不愉快」の詩人である。
 --と書いてみたが、その「不愉快」の実体をきちんと浮かび上がらせるのは、とても難しい……。

田村隆一ミステリーの料理事典―探偵小説を楽しむガイドブック (Sun lexica (12))
田村 隆一
三省堂

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