トム・ティクヴァ監督「ザ・バンク-堕ちた巨像-」(★) | 詩はどこにあるか

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監督 トム・ティクヴァ 出演 クライヴ・オーウェン、ナオミ・ワッツ、アーミン・ミューラー=スタール

 巨大銀行の悪を暴く、というストーリーだが、ストーリーの消化に追われていて、一人一人の人間がぜんぜん変化しない。悩み、闘い、そのなかで成長する、というのがどんなストーリーにも不可欠なものだけれど、この映画には、それがない。唯一、アーミン・ミューラー=スタールが変化といえば変化するのだけれど、あくまで脇役だし、その変化も微妙。観客を納得させるというようなものではない。やはり、主役のクライヴ・オーウェンか、ナオミ・ワッツが変化しないと……。
 唯一の見せ場は、ゲッケンハイム美術館の銃撃戦。
 展示内容がモニターをつかった映像作品ということで、モニターが壁面、吹き抜けにいくつも展示してあり、それが鏡の役割をする。しかし、それが鏡の役割をする(してしまう)ということに気づく時の映像が間延びして、そこでいったん映画のテンポがずれる。その後の銃撃戦の前の一呼吸といえばいえるけれど、こういう間のもたせかたは私はどうも納得できない。この呼吸をぐいとつめれば、尾行→発覚→銃撃戦→銃撃の急拡大という動きがとてもよくなるのに。銃撃戦がゲッケンハイム美術館の螺旋形の構造をいかしていて、とてもおもしろかっただけに、とても残念。     
 このゲッケンハイム美術館には、すこし付録(?)があって、ニューヨーク市警が手帖を見せて、「警官だ、銃を持ち込んでいいか」と受け付けで聞くシーンや、銃撃戦で逃げそびれた市民が、壁の陰で暗殺グループと直面し「逃げ後れて、じゃましちゃって、ごめんなさい」と謝るという映画ならではのおもしろいシーンがある。
 いかにも「いま」という感じのシーンでは、ナオミ・ワッツが暗殺された被害者の妻と、携帯電話のショートメールで応答するという「小技」も見られる。電話が盗聴されているので、声では応答しないのである。テレビだと見づらいかもしれないが、映画のスクリーンでなら、その短いメールのやりとりはくっきり見れる。(読む、というより「見る」という感じが、映画的でとてもいい。)
 主役の2人のキャスティングにも問題があったかもしれない。クライヴ・オーウェンはどうみてもスケベな感じがするし、ナオミ・ワッツは童顔である。巨大な銀行組織の悪に頭脳と体力で向き合っていくという感じがしない。
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ギャガ・コミュニケーションズ

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