リッツォス「手でくるんで(1972)」より(12)中井久夫訳 | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

意味は一つである    リッツォス(中井久夫訳)

圧縮した言葉、きわめつきの言葉、達人の言葉、
とりとめのない言葉、しつこい言葉、単純な言葉、疑いっぽい言葉、
役に立たぬ記憶、口実、口実、
あたりまえのことを強く言う、--たぶん石でしょう、
たぶん家でしょう、たぶん武器でしょう、--と。戸の把手。
水指しの把手。卓子に花瓶。
寝る用意をしてタバコを吸う。言葉たち--。
きみは言葉を空で鍛える。森で鍛える。大理石の上で鍛える。
紙の上で鍛える。別に--。死さ。

ネクタイをぐっと締めなくちゃ。ほら、こうだ。
しっ、静かに。待って。こういうふに。こうだよ。
ゆっくり。ゆーっくりだよ。この狭い隙間からはいる。
あすこだ。壁に押しつけてある階段の下だ。



 きのう読んだ「用心」に似ている。ことばを慎む。ことばを口にしない。行動も同じである。自分に言い聞かせる。
 どんなふうに言ってみても、誤解されることがある。かんぐられることがある。そうされないための工夫。--これも、軍政がもたらした一つの精神の形かもしれない。軍政に抵抗するというひそかな内戦の一つの形かもしれない。
 孤独なことばの記録をしっかりと残す--そういう戦い方もあるである。

 ことば、ことば、ことば。それを3行目で、言い換えている。

役に立たぬ記憶、口実、口実、

 あ、「記憶」もたしかに「ことば」なのだと知らされる。