リッツォス「反復(1968)」より(4)中井久夫訳 | 詩はどこにあるか

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新しい踊り    リッツォス(中井久夫訳)

弁解だけではありません。ほんものの動機です。そして結果。
情熱と興味。危険と恐怖。パシファエです。ミノタロウスです。
迷路です。アリアドネーです。アエアドネーの美しいエロス的な糸は
ほどけていって石の暗黒の中を導いたのです。こうしてテセウスは凱旋したのです。
テセウスはデーロス島に足を留めて、ケラトンをまわって踊ったのです。
アテネから一緒に行った若者らとともに。ケラトンは角だけで出来た有名な祭壇です。
脚を交差させるふしぎな踊りです。これを繰り返したのです。
強い昼の光の中でも、迷路の暗い曲がり角ごとにも、そしておそらく--
鳥も蝉も近くの松林であんなにやかましいのにどうして迷路からでられないってことがあ
   るのでしょう?--
太陽と一面に照り輝く海に目まいがしたでしょう。
海はきらきらしい玻璃の粉です。裸の身体の目くるめく動きです。
ふしぎな踊りです。私たちは皆忘れました、
ミノスタウロスも、パシファエも、迷路も、ナクソクの島で孤独の中で死に行く哀れなア
   リアドネーも。
けれど、踊りだけは国中にすぐに広まり、私たちもまだ踊っているのです。
あれ以来です。棕櫚の輪飾りがデーロス同盟の裸体競技でずっと授けられています。



 ギリシアの神話、歴史に私はうとい。ここに登場する固有名詞もなじみがない。けれど、踊りの熱狂が伝わってくる。特に、次の3行。


鳥も蝉も近くの松林であんなにやかましいのにどうして迷路からでられないってことがあ
   るのでしょう?--
太陽と一面に照り輝く海に目まいがしたでしょう。
海はきらきらしい玻璃の粉です。裸の身体の目くるめく動きです。

 迷路から出られないのは、踊りに引き込まれるからである。その熱狂は、鳥も蝉も、そして遠くにある太陽も、海も、海のその玻璃の輝きも踊りの中に引き込んでしまう。裸体の中に引き込んでしまう。
 踊る裸体--その純粋な美しさが何もかもを引き込む。踊りという迷路に引き込む。これはダンス讃歌である。
 中井の訳は「ですます」調で、いつもの訳とは違ったリズムをつくりだしている。