リッツォス「証言B(1966)」より(27)中井久夫訳 | 詩はどこにあるか

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軽やかさ   リッツォス(中井久夫訳)

夕陽が沈む。一隻の軽舟が入港する。
金と薔薇。濛気。無音。
一本のオールが光る。紫の縄梯子も。
すべては軽やか。石もない。森もない。
月は銀の眉毛。その屈折光。
きみのシャツのボタンが三つ、
かろうじて見える。
死も、この軽さの中では座をもたない。



 「金と薔薇」。「月は銀色の眉毛」。そうした華麗な美。それが「無音」のなかにある。「濛気」のなかにある。これは、不思議な対比である。その対比が「死」ということばと結びつく。
 「死も、この軽さの中では座をもたない。」の「もたない。」は反語である。そこには「死」は存在しないかもしれない。しかし、「死」の意識がある。意識がなければ「死」ということば自体、ここに登場しないだろう。
 否定されて、逆にくっきりと見えてくるものがある。「きみ」はたぶん、若い。若いから「死」は遠い存在であるはずだが、若いゆえに「死」を引き寄せる。悲劇を引き寄せる。「シャツのボタンが三つ」とは留められているのが「三つ」ということだろう。あとは留められていない。シャツがはだけ、そこから若い肉体ものぞいているだろう。労働のあとの若い肉体。「金とばら」にも「月」の「銀色の眉」にも負けない若い肉体。
 それは「死をもたない」。けれども、死が似合う。軽やかに悲劇を呼び寄せる。