孤独な業 リッツォス(中井久夫訳)
単騎夜っぴて駆けた。馬のあばらに無茶苦茶に拍車をかけた。
自分の無事安着を待っている。そういう話だった。
そんな急用だった。暁に着いた。
待つ人は一人もなかった。誰も出てない。見回した。
しんとした家。鍵を掛けてる。寝てる。
自分の喘ぎに混じって馬の喘ぎが聞こえた。
馬の口に泡。あばらに打ち傷。背に擦り傷。
男は馬の首に手を回した。泣いた。
死相を示す馬の眼は大きく、暗く、
二つの塔であった。己の眼が遠くに映っていた。雨の降る風景の中で。
*
短い文のたたみかけが「男」のこころを浮き彫りにしている。男は急いで帰って来た。その急ぐこころが、長い文を拒む。そのリズムがとてもいい。聞こえるのは、自分のいらいらとした声だけだ。しん、としているのは「家」だけではないだろう。周り中がしん、としている。そのしん、とした空気のなかに、男のいらだちが短い文となって飛び散る。
しんとした家。鍵を掛けてる。寝てる。
事実を確かめるのも、ひとつずつだ。しん、とした沈黙のなかへ、すぐに吸い込まれて消えていくことば--そのとき、そのいらだった声を吸い込んでいった空気の向こう側から聞こえてくるものがある。ことばにならないもの。喘ぎ。自分の喘ぎ。そして、男をここまで連れてきた馬の喘ぎ。
ことばをもたないものは、肉体の傷で、こころを語る。
馬の口に泡。あばらに打ち傷。背に擦り傷。
そのことばにならないことば、馬の肉声が「男」にはよくわかる。忠実な馬。男といっしょに走ることを生きがいにしていた馬。その馬が、いま、疲労の果てに死んで行く。なんのために疲労したのか、なんのために死ぬまで走りつづけたのか--それが報われぬままに。
男は馬の首に手を回した。泣いた。
この行は、絶対に「男は馬の首に手を回し、泣いた。」であってはならない。馬の首に手を回したあと、男が泣き出すまでには時間が必要なのだ。ことばが、ことばにならない思いが、男の体を駆けめぐる時間が。そして、男の肉体をことばにならない悲しみが駆けめぐっていることが馬に伝わるまでの時間が。句点「。」はそういう時間をあらわしている。
「男は馬の首に手を回した。」から「泣いた。」までのあいだには、時間がある。けれど、それは「改行」してはならない時間である。別の時間ではないのだ。深く緊密につながっている。男の思いが肉体を駆けめぐり、それが馬にも伝わる、それから馬からも何事かがつたわってくる--そういう時間は、男が馬の首に手を回している間中、ずーっとつづき、こらえきれなくなった瞬間にあふれだす。そのこらえきれなくなった瞬間というのは、馬の首に手を回している時間とは切り離せない。
とてもせつなく、とても孤独だ。男と馬は、こころを通わせている。何にもならないこころを通わせている。通い合えば通い合うほど、ふたつのこころは孤独になる。こんなにふかく結びついているのに、孤独だ。一方が消えていくことがわかっているから。
それが、すべて、「手を回した」のあとの句点「。」のなかにある。
あとは、静かに抒情がやってくる。