レン・ワイズマン監督「ダイ・ハード4.0 」 | 詩はどこにあるか

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監督 レン・ワイズマン 出演 ブルース・ウィリス、ジャスティン・ロング

 デジタル世界に挑むアナログ刑事--というふれこみだけれど、デジタルな映像ばかりが目立つ。特にトンネルのシーン。車が衝突して飛んでくる。それを身をかがめてかわそうとするブルース・ウィリス。両脇をちょうど2台の車が平行して走り、その屋根に飛んできた車がぶつかり刑事は救われる。あ、あ、あ。これってデジタル映像でないとできないシーンだよなあ。映像は完全にデジタル処理の世界なんだなあ。--予告編からわかっていたことではあるけれど、これってつまらないね。
 ヒーローが不死身であるのはいい。けがをしろ、血を流せ、なんてことは思わないけれど、映像に、これこそ肉体で勝ち取ったもの、という印象がないと、見ていてまったくはらはらしない。どうせ助かるんだろう、とたかをくくってしまう。
 これじゃあ、映画にならない。
 途中、いまどき珍しいハム通信がでてきて、ブルース・ウィリスはそれを活用する。「最後に生き残るのはデジタルではなくアナログだ」などというせりふも用意されていて、そのあたりは「ごていねいな伏線」という感じがして笑えるのだが。
 しかし、最後の最後。究極のアナログシーンが物足りない。
 ブルース・ウィリスがつきつけられた銃で自分の肩を打ち抜き、背後(背中にぴったり体をくっつけている)悪人を殺すというシーンが早すぎて映像になっていない。だからどうしても娘に「自分の体を撃つなんて」というせりふで説明させている。
 これでは映画とはいえない。
 映画はあくまで映像。そして、音。せりふはそえもの。ストーリーそのものもそえもの。トンネルのシーンにしろ、ヘリコプターを車をつかって撃墜させるシーンにしろ、高速道で戦闘機と戦うシーンにしろ、それはあくまで映像を見せるものでしょ? そうしため人を驚かす映像もいいけれど、もっともっと、ああ、なるほどなあ、と納得させる肉体的なシーンがないと、アナログ人間の魅力が伝わって来ない。
 ストーリーとしてはアナログ刑事がデジタル軍団に勝つというものだけれど、映像としてはアナログ人間がデジタル処理されて動かされているというテーマとは逆のものになってしまってる。
 ヒットだけを狙ったハリウッド・ハリウッド・ハリウッドした、シリーズ作ならではの安直な映画でした。