途中途中に、活字のポイントを大きくした行がある。たとえば、
命は、あるものとして与えられるからだ。
あるいは
夏がひざをうながす。
荒木が強調したいことばなのかもしれない。その行もたしかにおもしろいけれど、それよりももっとおもしろい行がある。たとえば
時間は不連続に連続するものだ。
だから夏はくるしい。
父が語るたびにあの夏は私の夏になった。
「語る」ことが時間を呼び寄せ、そのつど遠い時間と今の時間が連続する。そのあいだの時間は連続のあいだから抜け落ちて行く。
この哲学に沿うようにして犬の物語、犬の埋葬の物語が不連続に連続する。
そして、そのあいだから抜け落ちていったものが遠い遠い底にたどりついて、そこから落下の音を立ち上らせてくるようにして、かすかな抒情が響いてくる。その瞬間が、とても美しい。
父よ。
あなたの足うらにひろがる砂は、海へつづいていたのか。
東北の、荒木の海まで行ってみたい気持ちになった。