林嗣夫「花ものがたり 35 梅花幻想」は行分けのスタイルで始まり、途中から1行が長くなり、散文のようなスタイルになる。
ロビーに入り エレベーターに乗り
廊下を歩き 自分の部屋に向かうのだが
部屋はどこだったかな この階にまちがいはないのだが
番号がわからない わたしの頭のすみにはまだ小さな風が住みつ
いているらしく ドアの並ぶ壁面が揺れ 廊下がたわむ あるいは
かすかに傾斜する 番号の順序をたよりにやっと自分の部屋にたど
り着いた キーを差し込む うまくいかない もう一度キーを差し
込む 回らない どうしたことだろう まちがえたかな
意識のもつれぐあいがそのまま1行の長さの変化となっている。そのもつれた部分の「あるいは」ということばに私はびっくりしてしまった。林はとても冷静な人間だ。私にとって、夢というか錯乱の世界には「あるいは」は存在しない。そして、そして、そして、とどんな矛盾も「そして」でつながってしまい、つながってしまうことのなかに、のがれられなくなる悪夢がある。
「そして」ということばは書かれないが、林の「幻想」も「そして」の連続でつながっていくことは、その後を読めばわかる。
なぜ林は「あるいは」ということば、何かを対比することばを書いたのだろうか。対比の感覚、冷静な感覚を捨てるために、あえて「あるいは」を書いたのだろう。だからこそ、林のことばは「幻想」のなかでずるずるとのめりこみ、ホテルが生家にかわり、その向こうから満開の梅の花があらわれる。
意識を捨てる、その捨て方がおもしろいと思った。
*
小松弘愛「ここなく」。「ここなくで草をかった人/道具が落ちていましたので/預かっています」という立て札を見て、小松は「ここなく」という方言があったことを思いだす。「なく」は「ここ」「そこ」「あこ」「どこ」のあとについて場所を指示する。「なく」がなくても意味はかわらない。そういうことを考えた後……。
時代は あらかた
「……なく」を刈り取ってしまい
わたしは
「ここなく」
の立札の杭(くい)に
子供の頃に飼っていた山羊の親子をつなぎ
しばらく草を食べさせてみる
小松は「なく」と同じように消えてしまった思い出をそっとひっぱりだして眺めてみる。この抒情への変化がとても自然で、あたたかい。山羊を見るように「なく」を見つめている視線を感じる。
このあたたかな視線は魅力的だが、それよりももっとおもしろい部分がこの詩にはある。
ここなくで草を刈った人
道具が落ちていましたので
預かっています
……
「……」は預かっている人の電話番号
「道具」とは何のことだろう
草刈り鎌?
「 ……//「……」は預かっている人の電話番号」。この部分に、私は小松の正直なこころを感じる。「山羊」の部分もすてきだが、この部分の方がもっとすてきだ。魅力的だ。
この部分は「ここなく」について考えるとき、まったく不要なものである。「 ……//「……」は預かっている人の電話番号」がなくても、小松の書いていること、その「論理的意味」はまったくかわらない。省略されていた方が論理がすっきりするかもしれない。
それでも書かずにはいられないのだ。
小松の目の前にそれがある。それがあるなら、それがあるままに書く。その姿勢が土佐方言をめぐる小松の詩の基本姿勢なのだと思う。
方言があるとき、そこには人間がいる。方言だけが、ことばだけが存在するのではなく、人間がいて、人間が生きているということがある。そこには「余分なもの」がたくさんある。何かを考えるとき、私たちはそういうものを省略して考える。「方言」のかかえこむ余分なもの、たとえば「ここなく」の「なく」を省略して、ものごとを考える。そして、その省略によって具体的な不都合が起きるわけではないから、そういう省略は加速する。それは視点をかえていえば、切り捨てたものがそれだけ増えるということでもある。
小松は、そういう切り捨てたものをもう一度見つめてみようとしているのだ。無意識に切り捨てたものを見つめなおそうとしている。
そうした切り捨て(省略)のなかには「電話番号」のように「……」と伏せて書くしかないものもあるかもしれない。しかし、それは存在する。存在した。存在するもの、存在したものを、存在する、存在したと意識するこころだけが、「山羊」の記憶のような美しいものを、もう一度輝かせる。
そして、その延長線上に、さらにさらに美しいものが、小松の記憶を(意識を)越えてあらわれる。まるで「土佐」に生きている人間のすべてのこころを通過してきたかのように、美しいものがあらわれる。
最終連。
そして
「あこなく」
と 腕を斜め上方に伸ばしてもよいあたりに
ぽかっと浮かんでいる白い雲
あまり形はよくないが
その昔の
握り飯のような雲を眺めることになった。
この美しさは、「 ……//「……」は預かっている人の電話番号」を通ってこないことにはたどりつけない美しさだ。