監督 ジョー・カーナハン 出演 ベン・アフレック、アンディ・ガルシア、アリシア・キーズ
FBIが盗聴したマフィアのボスをめぐる電話がきっかけで殺し屋が集まってくる。彼らはマフィアの秘密を知っていると思われるマジシャンを殺そうとし、FBIはマジシャンを守ろうとする。マジシャンから証言を引き出し、マフィアを壊滅しようとする。
別におもしろい話ではない。
殺し屋はマジシャンを殺せばそれでいいのだけれど、殺すためにはマジシャンを狙っている殺し屋が邪魔。先に殺されてしまっては仕事にならない。というわけで、マジシャンを殺す前に、殺し屋同士の殺人がある。FBIと殺し屋の戦いがある。
ストーリーがアナーキーだけに、映像もアナーキー。会話もアナーキー。殺し屋の特徴がぱっと短いことばで説明されるだけなので、誰が誰なのか、たぶんわからなくなる。わからなくなっても、そんなことは関係がない。ただ、殺し合うだけ。だからおもしろい。殺し合い、血が流れるのに、ぜんぜん悲壮感がない。壮絶さがない。エレベーターのなかの銃撃戦、チェンソーで殺すつもりが動けなくなって自分の手を切る羽目になる殺し屋、なんていうシーンは、なぜだか笑えてしまう。
非常に人間的(?)なシーンが一つ。
女二人の殺し屋。たぶん、レズビアン。ひとりの女は相棒(恋人)が銃撃戦に巻き込まれ死んでしまった思う。やけになる。その瞬間、相棒(恋人)が男に抱き抱えられて殺戮現場のホテルから出ていくのを銃の照準スコープで見てしまう。「え、どうして? なぜ?」と思った瞬間、彼女自身が暗殺者であるということを忘れてしまう。自分と相棒(恋人)との関係はどうなる? 死ぬか生きるかではなく、恋の行方がどうなるかが心配になる。ほかのことには無防備になる。そして、その瞬間、背後から撃たれて死んでしまう。
あ、殺人者も人間なんだ、とふっと思う。
最後に、殺し屋ではなく、FBI捜査官が、ひとり人間的な抵抗を試みて、この映画は終わるけれど、これは蛇足。
女二人の殺し屋を描いたタッチで、殺し屋同士の人間関係を濃密にしたらとんでもない傑作になったかも、と勘違いしそうなほどアナーキーな映画でした。