呉美保監督「酒井家のしあわせ」 | 詩はどこにあるか

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監督・脚本 呉美保 出演 森田直幸、友近、ユースケ・サンタマリア、鍋本凪々美

 「あほ」の映画である。
 「あほ」とは「なんでや」と一対のものである。「なんで、そんなことせんならんのや、あほ」。わかっている。わかっていても、そうせずにはいられない。矛盾である。矛盾しているから、そこに「思想」がある。
 この矛盾を「頭」で解決しようとしてあれこれ苦戦するのが「ばか」である。
 「あほ」はそれを「頭」で解決しようとしない。体(肉体)で受け止める、というか、「あほ」のまま「生きているから、それでいいじゃないか」と、受け流す。矛盾を解決せずに、矛盾と共存する。いっしょに生きる。それは家族がいがみ合いながら(矛盾を、いがみあい、対立と言い換えてみよう)、それでもいっしょに生きて、いっしょに生きているうちになんとなく、家族っていいなあ、と思うようになる。そんな具合に、「いっしょ」というものを「頭」ではなく、肉体そのもので生きる。
 ユースケ・サンタマリア演じる父は「ばか」である。「頭」で問題の解決方法を考え、「頭」で行動する。「頭」のいい人間は、「ばか」である。それを森田直幸演じる息子が「ばか」に引き戻す。
 「頭」のいい人間は、たとえば「愛している」ということは聞かなくても理解できるので、「愛している」と言わなくても、相手につたわると考える。「ばか」である。「頭」の悪い人間は、「愛している」なんて言ったところで通じるかどうかわからないし、行動(肉体を動かす--たとえば、病院へ見舞いに行く)するしかほかに「愛している」とつたえる方法を知らない。「あほ」である。ことばでうまく説明できないから、ともかく体と体を接近させる。ぶつける。怒る。泣く。わめく。
 「なんで泣くんや、あほ」。
 そう言いながら、体がつたえてくるものを体で受け止める。森田直幸が「父さんに会いにゆこう、父さん死んでしまうんや」と友近演じる母に泣いて訴えるシーンである。そして友近が森田直幸を抱き締めるシーンのことである。このとき友近がはっきり受け止めているのは、ことばというより、泣いて訴える森田直幸の体である。ふたりは「頭」で動いていない。肉体で動いている。だから、それが映像になると、とても美しい。映像は「頭」のなかなど映し出さない。あくまで、そこに動いている肉体を映し出すのである。

 もうひとつ、非常に美しい「あほ」がある。ラストシーン。森田直幸が女の子から振られる。女の子の新しいボーイフレンドは森田直幸の親友である。引っ越しのその日に、森田直幸はそのことを打ち明けられる。なんと女の子から花束までもらって、「うーん、この子はおれのことがほんとうに好きなんや」と思っている矢先にである。この「ばか」なできごとを、ユースケ・サンタマリアが笑うことで「あほ」にかえる。息子のばかげた失恋をあほな失恋にかえる。「なんや、おまえ、相手と会っていて(体を見ていて)、そこから何も気づかんかったんか。あほやなあ」というわけである。「笑うことではない」と言いながら、友近も笑いはじめる。
 そして。
 森田直幸はジャージーのファスナーを上にあげて、顔を半分隠して、やはりつられて笑ってしまう。「ほんまに、あほやなあ」。
 「あほ」は肉体である。だからジャージーのファスナーをあげる。顔を隠す。しかし、隠しても隠してもそこにあるのが肉体である。口元を隠しても、目が笑っている。ほんとうに美しい。絶品である。



 感想が前後するのだけれど……。
 「あほ」と「ばか」は関西弁と標準語(東京語?)の違いでもあるのだが、「あほ」を関西弁を話す森田直幸や友近が担うのに対し、「ばか」を受け持つユースケ・サンタマリアが演じるというのは図式的といえば図式的だが、とてもわかりやすく、またとても効果的である。「ばか」(頭で考える)ユースケ・サンタマリアが「あほ」になる(肉体で反応するようになる)という映画でもあるのだ。



 「あほ」をもう少し補足すれば、日常をそのまま手を加えずにすくいとってきたようなせりふと、日常をそのままスナップのようにとらえるカメラは、とても「あほ」である。切れがなく、どてーっとしている。しかし、それがそのまま「あほ」に合致している。なかには「こどもが親を選べへんのと同じように、親かて、こども選べへんのやで」とか、「(離婚したのは)おじさんも初めて生まれてきたんやで、間違いかてするわな」というようなずっしり重みのあることばもあるが、それはもしかしたら、この映画の唯一の傷かもしれない。すべてわすれていいようなせりふ、何を言っていたか思いだせないせりふだけでできていたら、この映画はもっともっと感動的だったかもしれない。
 とはいうものの、この映画は、私の中でははやくも2007年のベスト1である。この映画を超える作品がでてくるとは想像しにくい。この映画がおもしろくないという人がいたら「ばか」である。はやく「あほ」になりなさい、そう言いたい。